山王一実神道は難しかった。
まず、教義がはっきりしない。研究書がほとんどない。いったい、どんな宗教なのか?
徳川家康は山王一実神道の教えで日光東照宮に祀られた。であれば、日光東照宮になら山王一実神道の研究成果があるかも知れない。
森村さんは日光東照宮に出かけた。東照宮宝物館の学芸員に会って山王一実神道についてあれこれ質問した。だがはかばかしい答えは出て来ない。要を得ないまま帰宅するほかなかった。
その学芸員から突然、封書が送られてきたのはしばらくしてからである。何事だろうと封を切ると、1959年に日光東照宮が発行した雑誌「大日光 第12号」の一部分のコピーが入っていた。池上宗義さんという方が書かれた「山王一実神道私攷」という論文だった。
読んで
「なるほど。これじゃあ分からないはずだ」
と思った。山王一実神道は
「江戸期は勿論、それ以後に於いても当宮の神秘について集成し、且之を公開するを厳に禁ぜられてゐた」
と書いてあったからだ。山王一実神道は秘教なのである。教義を編集することも公開することも禁じられている。それでは調べようがない。研究書がほとんどないことも当たり前なのである。山王一実神道は難物だった。
それに、森村さんが理解するところ、山王一実神道とは徳川家康を神にすることを目的にした宗教である。家康を東照大権現にしたことで役目を終えたともいえる。あとは東照宮で秘儀として守っていればよく、広く布教することを試みた痕跡はない。
調べても調べても、なんとも手の付けようがない難物だった。
慶応義塾大学法学部教授、片山杜秀さんが書いた「歴史を預言する」(新潮新書)を手にしたのはつい最近である。 その1項に「増上寺幻想—首相・将軍・大権現」があった。読み始めた森村さんの目が輝いた。森村さんが目を惹かれたところを引き写してみよう。
「新しい幕府は安泰か。いや、家康があの世に旅立ち、昔の思い出として墓所に祀られるだけになっては、威光も薄れざるを得まい。
どうするか。死してもこの世に行き続けている感じがほしい。家康のブレーンであった天台宗の僧侶、天海がみごとに工夫した。死した家康は東照大権現とされた。権現とは神と仏の一体化したものだろうが、権と現の2文字で構成されているのは伊達ではない。この世にいつも居て、日々現れて,強い権勢を示すから権現なのだ。しかも、天海によれば、東照大権現は権現の中でも山王権現と同体という。山王権現とは比叡山から生まれた神仏混淆思想のひとつの理想的形象だ。聖なるあの世と俗なるこの世は神仏を兼ねるひとりの権現によって統べられていて、この世を統べるとは万民に幸福をもたらして天下を泰平にすることだと考える。家康は、江戸に幕府を開き、長い戦乱の世を終わらせたことによって、衆生に地益をもたらし、聖俗を貫く絶対権威かつ権力としての一仏一神、すなわち山王大権現こと東照大権現と化した。そのように天海は説く。
そんな東照大権現はどこに居る? 静岡の久能山にもだが,やはり日光だ。日光は江戸の真北。北極星の輝く方向。道教では北極星を天皇大帝と呼ぶ。日本の天皇の語源はそこにあるとも言われる。さらに付け加えれば、天海によると、東照大権現は天照大神よりも格が上とされる。
家康と天海はこのようにして、武家の棟梁たちの直面してきた難題の解決をはかったのだろう。天下を泰平にした実力者がこの世でもあの世でも一番偉い。将軍は天皇の上に、大権現は天照大神の上にあると考えてもよい。家康は死してこそ、徳川の権威と権力を完成させたのか。日光の天と地で輝くことによって。天海の名プロデュースである」
山王一実神道はどこにも登場しない。しかし、その考え方は何となく分かる。
森村さんは
「我が意を得たり!」
と思った。
写真:送られてきた「大日光 第12号」のコピー