【刺繍枠】
刺繍をする布にピンとした張りをもたせ、刺繍しやすくするための道具。木や竹、プラスチックでできたリングが二重になっている。その間に布をはさんで外側のリングを締め付け、固定する。安い物は1000円内外から市販されている。
一針一針手で縫う趣味の刺繍なら刺繍枠にそれほど気を使う事もないだろう。しかし、刺繍を業とする人達は一般に出回っているものには目を向けない。プロの仕事に耐えられないからだ。作業の途中で刺繍布が緩む。少し手荒に扱うと割れる。布を締め付け直したり枠を取り換えたりしていては作業効率が上がらない。何より、作業のリズムが狂う。なかでも、布を固定した刺繍枠をミシンの下で激しく上下左右に動かしながら縫っていく横振り刺繍に使う刺繍枠に求められる性能は別格だ。
まず、厚み、素材が様々な布を確実に固定できなければならない。作業途中で布の一部でもずれたりしたら失敗作になる。加えて、刺繍ができるのは刺繍枠の中だけだから、その円形の部分の刺繍が終われば一度刺繍枠を緩め、布をずらさねばならない。ずらして刺繍枠を締め付けるとき、はさまれた布の一部はすでに刺繍が施されて分厚くなっている。厚みが均一な布なら固定するのは難しくないが、ところによって厚みが違う布だと、締め付けたつもりでも刺繍された部分にはさまれた未刺繍のところは相対的に薄いため刺繍枠で固定されにくく、そこが滑って枠で囲まれた部分の布に歪みを発生させかねないのである。
柔らかい木で作ればその弾性で厚みの差は吸収できるかも知れないが、それではすぐに折れたり割れたりしかねない。だから硬さも必要になる。プロの横振り刺繍師が使う刺繍枠は、硬くて柔らかいという二律背反の条件を解決しなければならない。
桐生は織都である。刺繍は桐生のお家芸の1つだ。そのため、20世紀まではこうしたプロ使用に耐える刺繍枠を作る職人さんが数人いた。しかし、いまや桐生の繊維産業は衰退を極め、刺繍枠を作る職人さんも10年ほど前に姿を消した。
今回の話はここから始まる。