糸を創る 泉織物の3

【現代の名工】
職人としての最高の栄誉である「現代の名工」を泉太郎さんが受賞したのは2018年、54歳の時である。伝統産業を受け継ぐ人としては異例の若さだ。
群馬県の受賞者を紹介する県のホームページでは

「古くからの絹織物の産地・桐生において、意匠・下絵描き・縫い・括(くく)り・染色・糸解(いとほど)き・整理仕上げの全ての工程の技能に精通し、現在も着物地製作を行う唯一の職人である。特に、異なる絞り技法を二重三重に染め重ねる技能は他に類を見ない」

と紹介されている。

現代の名工になって新規取引先が増えた。イベントなどへの参加要請も押し寄せるようになった。

「ブランド力が上がったんでしょうねえ。ありがたい限りです。ただ、やらねばならないことが沢山あるので、イベント関係はできるだけお断りすることにしています」

泉織物の経営には確かに追い風になった。

「でもねえ」

と泉さんは続けた。

「私でいいんでしょうか? 私、そんな大それたものではないですよ。だから恥ずかしいので、できるだけ人には言わないことにしているんです」

ただ、名工としての自覚はある。

「責任感といいましょうか。これまでよりもっといいものを作り続けないと名前負けするぞ、っていつも思っています」

そんな泉さんに、筆者は提案してみた。

——あなたの技を和服の世界だけに閉じ込めておくのはもったいない。洋の世界に打って出てみてはどうですか?

くっきりと四季が分かれる日本で、私たち日本人は独特の文化、美感を育ててきた。草木で染めた絹糸はハッとするほど美しい。1000年以上も前の宮廷女性たちは、こんな色を十二も重ね、きらびやかさを競っていた。江戸時代、奢侈が取り締まられると、町衆は着物の裏地に贅を競った。私たちはそうして育まれた日本独特の美感を受け継いでいるはずだし、織都桐生1300年の歴史は、美を産み出し続けてきた豊かな時間ではなかったか。

その歴史が産み出した、糸から創る機屋が泉織物である。どこにもない絹糸で織り上げられた絹布は日本の美意識の最先端にある。それでなくても世界はいまJapanブームだといわれる。西洋の人々、アジアの人々に、泉織物の職人技で切り込んでみてはどうか。和服の世界だけに閉じ込めておくのは、あまりにも「もったいない」のではないか。

熱を込めて説いたつもりだが、泉太郎さんは、ただ

「そこまで評価していただいて、ありがとうございます」

と頭を下げただけである。

筆者は、世界で泉織物しか織り出すことができない絹布に世界の注目が集まる姿を見てみたいと心から願っている。

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