【四季の色】
天然染色(そめいろ)研究所を主宰する田島勝博さんが「日本の四季の色」を発表したのは2008年のことである。私たちの祖先はどんな色を楽しんでいたのか。公家に生まれた女性たちの正装として平安時代中期に完成した十二単衣は、日本人の美感の1つの象徴だろう。いまでも宮中の儀式などで目にする美しい色の数々を、自分で復元してみたい。ふと、そんな思いにとらわれた。十二単衣は春夏秋冬それぞれに重ねる色があったと伝わる。だったら、日本の四季の色を復元しようと、独り絹糸を草木で染めた。
古代色の復元に取り組んだ染め職人は田島さんだけではない。古代から伝わる文献を参考に、当時の染め職人が使っていた手法をいまに蘇らせようという試みは全国にあった。
しかし田島さんは少し違った。
「昔は色素の抽出法、媒染剤の選び方など、染めの技法は経験の積み重ねで洗練された。しかしいまは科学の時代。偶然に得た結果を『秘伝』として伝えた古(いにしえ)と違い、布が染まる原理はほぼ解明され尽くしている。同じ色が得られるのなら古代の技法に拘ることはないではないか」
田島さんはもと、桐生で1、2を争う染色会社・田島染工の技術担当専務だった。大正元年(1912年)に祖父・錦四郎さんが興した会社である。科学万能の時代、使っていたのは堅牢性(色落ちのしにくさ)が高い化学染料だった。化学染料に関する限り、染めの技、理屈は田島さんに染みついている。
そんな田島さんが30代後半に差し掛かった頃、趣味で草木染めを始めた。人工的に色を作り出す化学染料への、いつか抱き始めた飽き足らない思いが背中を押した。色を作るのではなく、自然から色を頂く草木染めは、化学染料より遙かに豊かな世界ではないか? そんな気がし始めたのだ。
自宅に実験室を設け、あちこちで草木を拾い集めた。21世紀はじめ、繊維不況が深まって工場を閉めた後は、草木染めにのめり込んだ。
長い歴史を持つ草木染めだが、田島さんは伝統をそのまま守ろうとは思わなかった。さまざまな草木から色素を取り出す科学的な手法が、いまはある。取り出した色素を繊維に付着させるにも最新の科学がある。科学が存在しなかった古代に経験に頼ったのは仕方がない。しかし、科学知識に恵まれた私たちまでが科学不在の染めをしなければならないはずはないではないか。
田島染工の技術担当専務として身につけた化学知識を総動員して、現代の草木染めを生み出そうと全力を挙げた。古代色の復元は、60歳前後になっていた田島さんの目標になったのである。
写真:自ら染めた「日本の四季の色」の前に立つ田島さん