当時の常識でいえば、久美子さんは結婚適齢期に差し掛かっていた。時折出かける2人を見て動き出したのは周囲である。やきもきしたのだろう、久美子さんの父がつい口にした一言が引き金になった。
「あいつ、何なんだよ。おまえ、どうするつもりなんだ?」
久美子さんはその話を正次さんに伝えた。
「どうする?」
正次さんが突然動き出す。
「じゃあ、あなたのお父さんのところに行って話をするよ」
大学を卒業した直後の1971年4月1日、正次さんは久美子さん宅に向かった。
「久美子さんと結婚したいと思っています。しかし、私は山の方に行って花を作って暮らしを立てるつもりで、まだ修行中です。だからいつ結婚できるか分かりません」
久美子さんが、正次さんの口から出た「結婚」という言葉を聞いたのはこの時が初めてだ。
「ええ、プロポーズなんてなかったんです」
その場で正次さんは熱意を込めて、花作りに賭ける自分の夢を語った。
ふむ、夢を持っている男なんだな、とはご両親も理解されただろう。しかし、20歳をわずかに過ぎた男の夢、事業が実現する可能性はどれほどなのか? 娘をくれという男にあるのはその夢だけ。暮らしていける保証は何もない。そんな男に娘をやれるか?
「犬や猫の子をやるんじゃないんだぞ!」
と久美子さんのお父さんが言ったのも無理はない。
だが、2人の熱意は周囲を溶かしていった。昭和48年10月、2人は周囲に祝福されながらゴールインした。
挙式のあとは披露宴という名の大宴会で酔い痴れるか、新婚の2人が希望に胸を膨らませて新婚旅行に出るのが普通だろう。だがその日、東京で挙式を終えた2人は車に乗り込むと勢多郡黒保根村(現在の桐生市黒保根町)に向かったのである。
「はい、新婚旅行なんてありませんでした。いや、黒保根に行ったのが新婚旅行だったのかしら?」
25歳を目前に下2人の旅立ちだった。
写真:結婚したころの久美子さん