花が米粒大のアジサイの種の大きさはどの程度だと想像されるだろうか?
筆者は黒保根のさかもと園芸で見せていただいた。想像を絶するサイズだった。
「ええ、正次さんはよく、こんな説明をしていました。白い紙に芯を尖らせた鉛筆を1回だけ押しつける。その時に紙に出来た点が種の大きさだと」
米粒大の花から取れる種である。しっかりすりつぶしたすりゴマの大きさ程度にしかならないのだ。
そして11月。2人は種を宿したらしい実を採取した。付け根の当たりがぷっくり膨らんでいる。いかにも子どもを宿していそうな形である。これを乾燥させる。
乾燥したら、紙の上で揉んでやる。種が紙の上に落ちるはずである。
「ところがね、殻も小さく砕けて一緒に落ちてくるでしょ。種なのか、それとも殻のくずなのかの見分けがつかなくて」
そして、小さいから軽い。文字通り、吹けば飛んでしまう軽さである。
「ほら、もう11月でしょ。夜の作業だから手が冷たくなったりする。でも、息を吹きかけて温めたりは出来ないの。種が飛んでしまうからよ。それこそ息を詰めてやらなければいけない作業なんです」
小さじ一杯にも満たない種「らしき」ものが採れた。これは本当に種なのか? 期待した通りの花を咲かせてくれるのか?
交配はまだ緒に就いたばかりである。
この種「らしき」ものを翌年の春先に蒔いた。2ヶ月ほどで芽が出た。だが、これはアジサイなのか? それともアジサイは芽を出さず、ほかからか飛んできた雑草の種が芽を出しただけなのか?
アジサイの育種はこれが日本初なのだ。アジサイは挿し木でしか増やしたことがない日本では、芽だけでアジサイかどうか判断出来る人はほとんどいない。それに、幸いアジサイだったとしても、狙い通りの花が咲く保証はどこにもない。
「アジサイが花をつけるのは芽が出て翌年の春です」
つまり、交配の結果を目にするには、2年もかかるのだ。
その年、2人が手がけたアジサイはみごとに待ちに待った花をつけた。濃いピンクがあった。白に近いものもあった。それらに混じって、狙っていた桜のような薄いピンクの花を咲かせているものもあった。
出来た、万歳!