チャイさんは様々な花のコンテストに応募し、出すたびに数々の賞を得てきた。
だが、まだ手にしていない賞がある。フロリアードの最高賞である。
正次さんは1992年、2002年と2回連続で最高賞に輝いた。10年に1度開かれるフロリアードの次の開催年は2012年。すでにチャイさんがさかもと園芸を引き継いだ後である。だが、この年の受賞者一覧には、さかもと園芸の名はなかった。フェンロー市で開かれたフロリアード2012に、さかもと園芸は出展していなかったのである。
「なんだかね、役所の方に声をかけていただいたのが始まる半年前ぐらいだったかしら。今回も出して欲しいといわれたんだけど、準備期間を考えると、とても間に合わなかったものだから止めたんですよ」
と久美子さんはいう。東日本大震災が引き起こした大きな災害で日本中が動転していた時期である。役所の対応にも遅れが出たのかもしれない。
さかもと園芸は3回連続最高賞の機会を逃した。いや、2012年といえば、チャイさんが経営を引き継いで悪戦苦闘していた時期だ。まだ育種は手がけていない。
正次さんが育種し、フラワー・オブ・ザ・イヤーに輝いた「フェアリーアイ」というアジサイの新種はあった。「フェアリーアイ ブルー」は八重に咲きそろうガクが透き通るようなブルーに色づき、夏場になると黄緑色に変わる。思わず引き込まれるような深いブル−が印象的な「ブルーアース」も準備はできていた。しかし、どちらもフロリアードの開催時期に合わせて作り出した新種ではない。だから、出展しても受賞は逃したかも知れない。
しかし、機会を逃してしまったという後悔は、チャイさんの胸にある。
「いい花を作れば売れる」
と言い切って賞には全く関心を持たなかった正次さんとは違い、チャイさんは積極的だ。人一倍名誉欲が強いというわけではない。日本の花の市場は「賞」を高く評価する。受賞すればより高い価格で売れる。経営者を自覚するチャイさんにとって、さかもと園芸に利益をもたらしてくれる「賞」は無視できないのである。
そして、個人的な思いがある。
日本に住み着いたチャイさんは、それでも「外人」である。外見の違いは一目で分かるし、日本語も会話に困るほどではないが、流ちょうとはいえない。
だからだろう。
「日本に来た最初は、それほど強くではないけど、ああ、『外人』って見られてるなと思った」
差別、とまではいわないが、ある違和感を持たれているとの思いが消えなかった。
「それが、たくさん賞を取ったらなくなったね。いまはどこに行ってもrespectされていると感じるよ」