被災地との交流が深まる一方で、「PLUS+ アンカー」が変わり始めた。「カフェ」から「街の灯」への変化である。客から
「こんなことを考えているんですが、使わせてもらえませんか?」
という問い合わせが出てきたのだ。多くは石巻レストランの客になった人たちである。石巻の食材でできた美味しい料理を楽しみ、初めて知る被災地の生々しい現状に涙ぐみながら、「PLUS+ アンカー」は単なる「カフェ」ではなく、自分の暮らし、桐生の町を表現する舞台に使えると感じ取った人たちだった。
これまで雅子さんが取り仕切ってきた「PLUS+ アンカー」が、雅子さんの掌を飛び出しかかっていた。町の人たちが、何かをする場所、何かに参加する場所という新しい顔を持ち始めたのである。
雅子さんの記憶では、第1号は桐生市職員の早朝勉強会だった。登庁する前の午前7時に始める勉強会がしたい。市役所という閉じられた世界で仕事をしていると視野が限られてしまう。民間で活躍している人たちの話を若手の職員が聞いて学び、行政に活かしたい。民間の活力と行政を繋ぐ市職員に育ちたい。
役所内の会議室で開く選択肢もあったろう。だが、それでは講師にお願いしたいと思っている民間の人たちを役所に呼びつける形になってしまう。他の場所を使おうにも、そんなに早い時間に開いている貸しホールなどない。困っているとき「PLUS+ アンカー」を知った。ここなら受け入れてくれるかも知れない。
「分かった。うちでやってよ。そんな朝早くなら朝ご飯を食べる暇もないでしょう。うちで簡単な朝食を用意してあげる」
若手の職員である。「民間の識者」に話してもらうといっても伝手があるわけではない。講師選びから講演の依頼まで、雅子さんと夫の貴志さんが手伝った「「受け身のプランナー」ならではのことである。
「Kiryu Asa Café plus+」はこうして2015年3月11日に始まった。初回の講師は、不動産業、不動産コンサルティングの仕事を通じて桐生のまちおこしに取り組んでいる貴志さんが引き受けた。