だが、計算してみると無理な計画だと分かった。そんな施設にするには、改装費が少なくとも2000万円はかかる。新しく住宅を建てるのにも金もかかる。とてもではないが採算に乗りそうにない。
一方で角田さんは年々齢を加えていく。この家をどうするのかを決めることの重みは月日とともに増していく。介護施設が駄目なら、他の使い道を考えなければならない。
第2の選択肢としてコンビニを検討した。これも実現性は薄かった。なにより、敷地の形状がコンビニ向きではなかった。本町通りに出る口が1箇所しかない。これではたくさんの車が出入りすることになるコンビニの営業は難しい。
そして最後に残ったレストランチェーン。アンカーの社員が手分けして、あちこち当たってみた。色よい返事は1つももらえなかった。彼らは異口同音に、前を走る本町通えいの交通量が少なすぎて経営を軌道に乗せるのが難しい、といった。
困った。結局、角田さん一家はこの家に住み続け、娘さんに引き継ぐしかないのか。
そのころ、雅子さんの方は角田さんの求めに何とか応えようと知恵を絞りつつ、一方では自宅の1階をオープンカフェにする計画を着々と進めていた。改装工事を依頼する建築会社も決め、契約は目前だった。
そんな雅子さんの脳裏に、ポッと1つの灯りがともった。
「自宅の1階ではなくて、角田さんの家でカフェをやった方がいいんじゃないかな」
きっかけも何もなかった。突然、そんな思いが浮かんだのだ。
2014年の春先のことだった。
写真:たまたま訪れた客と記念写真に納まる角田さん(右端)。