それから毎年、佐藤さんは夏祭りにからくりを作り続けた。
翌年は「アラフラ海の真珠採取」だった。この年、店の前の通りにはアーケードが出来ていた。その上に透き通ったブルーのビニールで舞台を作った。この舞台に上から水を流す。すると、まるで海の中のように見える。
「アーケードのおかげで水漏れを心配しなくてもよかったからね」
フラフープを骨格にしてアコヤ貝を作り、蝶番で繋いだ。このアコヤ貝はモーター仕掛けで開閉する。貝が口を開くと中に真珠があり、開いた瞬間に中に仕組まれた電球が点灯して光を放つ。それだけでは面白くないのでマネキン人形を手に入れ、下半身を人魚にした。ピアノ線で吊された人魚は身体も腕も上下左右に動くようにしてあるから、佐藤さんが操るとまるで海中を泳いでいるように見える。
「アーケードの上だから、店の前に来ても見えない。だから反対側の歩道に人だかりが出来ていたね」
別の年には「金龍銀龍」を出した。体長2mはあろうかという2匹の龍が身体をくねらせながら絡み合う。龍は2つの自転車のリムに取り付けられており、リムは180°動くたびにモーターの回転を逆にするスイッチング回路で制御されて
金龍は雄、銀龍は牝で、銀龍は首にネックレスを巻いてオシャレをしている。ピンポン球で作った「真珠」の首飾りである。
清水時計店の店頭に張り紙を出した。
「銀龍が首に巻いているネックレスの玉の数はいくつでしょう?」
祭りの最終日、舞台に登った佐藤さんは銀龍からネックレスを取り外し、押しかけた観衆に向かってピンポン球を1個ずつ投げた。
「1,2,3……」
運動会の玉入れのように、みんなで玉の数を数えたのである。
「玉の個数を当てた人にはもちろん賞品を用意していました。それに、ピンポン球の中にはビール券を入れておいたんです。祭りだから、みんなが楽しまなくっちゃね」
いま桐生市の人に話を聞くと、
「七夕祭りが独立していたときは、各商店が競ってからくり人形を屋根の上に上げていてね。毎年違ったからくり人形が出て楽しかったよ」
という人が結構いる。だが、佐藤さんの記憶によると、からくり人形を出していたのは前にも後にも佐藤さんのいる清水時計店だけ。佐藤さんのからくりが連続して知事賞を受賞しても真似するところすらなかった。佐藤さんのからくり人形は市民たちの記憶を変えてしまうほどのインパクトを持っていたらしい。
からくり人形はとにかく目立った。一連のからくり人形を作っている佐藤さんの知名度も上がった。だからだろう。佐藤さんの営業成績も右肩上がりで、昭和53年には、清水時計店の売り上げは北関東でトップになった。