趣味? からくり人形師佐藤貞巳さん   第15回 レプリカ

そして、次々と見つかるからくり人形に市民の関心も高まり、「桐生からくり人形研究会」が旗揚げした。佐藤さんがその第1期会員になったのはいうまでもない。

せっかくの盛り上がりである。郷土の文化をみんなの手で守って行くにはもう一段の盛り上がりが欲しい。研究会はとある企業から助成金を受け、有鄰館で「曾我兄弟夜討ち」を復活上演することにした。昭和36年以来だから、実に37年ぶりである。

そして1998年、どこで聞きつけたのか、NHKの取材が入った。「小さな旅」という番組で全国放送するという。

こうなると市民の興奮はますます高まる。大工さん、プリント屋さん、元市職員、教師……、様々な人たちが研究会に加わった。

有鄰館での復活公演をほとんど一人でこなしたのは佐藤さんだった。清水時計店でからくり人形を作って動かし、曾我兄弟の修復も夫婦で完成させた。ほかの会員たちはからくり人形にはほとんど素人ばかりである。操れるのは佐藤さんを置いて、ない。

佐藤さんの仕事はそれだけではなかった。次々と見つかったからくり人形を修復する仕事も、佐藤さんにしかできない大切な作業である。修復作業は結局、2009年頃まで続く。佐藤さんは再び、からくり人形に頭の先までどっぷりと浸かってしまったのである。

佐藤さん夫妻が取り組む修復作業が進むと、修復ができたからくり人形をどうするかが研究会の課題に登ってきた。

せっかく37年ぶりに復活した桐生からくり人形である。この炎を絶やさないためには定期的に上演し、桐生にはからくり人形芝居がいまでも健在であることをたくさんの人にアピールしなければならない。

しかし、修復したからくり人形は文化財である。衣服のほつれているところはかがって修理したとはいえ、生地自体が劣化している。使い続ければ修理出来ないほどに破れてしまうのは目に見えている。人形自体もこのまま使えば、いずれは同じ運命をたどるだろう。最初に復活した「曾我兄弟夜討」は修復記念の意味も込めてからくり人形芝居を上演したが、文化財として大切に保存するには、二度と舞台に上げてはならない。

これは二律背反である。どうすればいいのか?

「レプリカを作ろう。上演にはレプリカを使えばよい」

そんな意見が飛び出し、皆が賛成した。レプリカとは、本物のそっくりさんである。レプリカだから、傷めばまたレプリカを作ればよい。

会員の一人が文化庁に助成金を申請した。文化庁から助成金が出ると分かると、仕事の分担が進んだ。舞台は大工さんが作る。衣装は織都桐生の和服製造者が名乗り出た。幕はプリント屋さんが受け持って、顔は人形師のあの人に……、と進んだが、操る糸に応じて様々に動くからくり人形本体を作るのは佐藤さんにしかできないことである。

修復作業の傍ら、佐藤さん夫妻はレプリカ造りまで背負い込むことになった。修復に10年もの長い時間がかかったのはそのためだ。

レプリカならそっくりさんになっていさえすればよい。からくりの機構はよりよく改造してもいいのである。佐藤さんの「からくり人形師」魂を刺激するには充分だった。佐藤さんは結局37体のレプリカ人形を作るのだが、

「どれもこれも、オリジナルを越えるからくり人形にしちゃえ!」

と心を決めた。そして、実際に作り上げてしまったのである。

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