時計屋に住み込んだが、最初の1年は時計には触らせてはもらえない。置き時計の埃払いを命じられるのがせいぜいである。2年目になってやっと掛け時計の分解掃除を許された。3年目、4年目は目覚まし時計の分解である。だが、組み立ては許してもらえない。どちらも、分解してバラバラにした歯車やゼンマイを油で洗うまでの仕事である。
「佐藤君、組み立ててみろ」
といわれたのは、5年目になってやっとだった。加えて、当時の職人は仕事を教えてはくれなかった。職人の世界では技は盗むものなのだ。
「やりましたよ、真面目にね。でも、いつまでたっても私より若いヤツは入ってこないし、ずーっと一番下っ端。いじめも嫌がらせも続く。そんなだからいやになるわね。時計の分解掃除をしながら布団の上げ下げから全員の背中流しまでやるんですもん。とうとう切れちゃってね」
夜逃げした。20歳の頃である。休みの日の朝6時頃、東京・立川にいた一番上の姉のところへ布団を送り出し、自分は国鉄(いまは JR)を乗り継いで昼頃着いた。
「ところがね、時計屋の主人は私の親戚をみんな知ってる。逃げたのならあそこだろうと見当をつけて、夕方来ちゃったの。あえなく逮捕さ」
連れ帰られた佐藤さんは間もなく、再び逃亡を試みる。やはり立川にいた兄の元に転がり込もうとしたが、
「やっと着いて玄関を開けたら、いるんだよね、時計屋の主人が」
2度が2度とも、即刻の逮捕である。
「こりゃあ逃げ切れないわ」
と諦めた佐藤さんはいやいや時計職人を続けた。
「おお、あんたが○○ちゃんの婿かい?」
そんな声をかけてきたのは、時計店主の親戚だった。店主の使いで佐野まで届け物に行ったときのことだ。○○とは店主の長女である。
「えっ、俺があの娘の婿!?」
ギョッとした。そんな気はサラサラない。時計屋で働くのは,将来自分の時計店を開くためだと思っていた。それが、入り婿になってあの時計屋を継ぐ? 俺をよこせといっていたのにはそんな計画があったからか? 冗談じゃない! 俺にだって好みはある!!
限界だった。
「実は、どうしても自動車の整備をやりたくなった。申し訳ないが店を出ます」
と、今度は書き置きして出奔した。向かったのは東京である。着いて歩き回り、店の前に「整備工募集」の張り紙があった両国の整備工場に就職した。
「いい社長でね。すんなり雇ってくれて、東京は初めてだというと3日間の休みをくれた。まず東京見物をしろ、っていうわけでしょ。ところがね、東京に圧倒されちゃった。ほら、もともとが秋田の田舎の出でしょ。肌に合わないんだねえ、大都会っていうヤツが。それで、仕事も覚えないうちにそこを辞めて足利の整備工場に就職しちゃった」
3度目の正直なのか、書き置きを見て時計店主が諦めたのか、何故か追っ手は来なかった。
佐藤さんはまだ桐生にたどり着いていない。