「いいことは分かるけど、値段がね……」
と多くの機屋さんが二の足を踏んでいた1974年、周敏織物は新しく工場を建てると、レピア織機の導入に踏み切った。3年後には隣の太田市に工場を建設、ここにもレピア織機を設置した。
思い切った投資に踏み切ったのは、創業者の故・周東敏夫さんだった。
「機屋は競争が激しい世界です。常に最先端にいなければ置いていかれる、と思ってたんじゃないでしょうか」
と2代目の通人社長は推測する。
1997年、7200口の巨大なジャカードを設置したのも先代の敏夫さんだった。ジャカードには綜絖を上下するための架物を引っかけるための金属がついており、これを「口」という(「今泉機拵所」をご参照下さい)。1008口というのが普通で、やや大型になると1300口になる。それに比べると7200口というのがいかに巨大かが分かる。まだ日本には数台しかないという代物だ。
ジャカードで織り柄を作る際、織り柄は繰り返すことになる。例えば幅1mの生地で25㎝ずつの繰り返し模様になるとすると、ジャカードの1つの口から4本の通じ糸が下がることになる。
7200もの口をもつ巨大ジャカードの威力は大きい。ひとつの口に1本の通じ糸を下げれば綜絖の上げ下ろしを細かく制御でき、複雑な柄が出来る。さらに、幅76㎝で繰り返す紋様を描くことも出来る。小型のジャカードでは絶対に出来ないことだ。
つまり、7200口のジャカードを持つということは、ほかの機屋ではほぼマネが出来ない高品質の織物を織ることが出来るということなのだ。
「ええ、これも先代の進取性の表れでしょう」
と通人社長はいう。
だが、
「そんな注文は滅多に入りませんから、ひょっとしたら先代の道楽だったかも知れませんが」
とも。
しかし、仕事でする道楽。それは織物の世界を、可能性をさらに広げることにつながるはずだと筆者は考える。そのDNAはいまにもうけつがれているのではないか。
写真:出荷を待つ金襴と周東通人社長