金襴を現代に 周敏織物の2

【色使い】
周東通人社長が父の仕事に入ったのは、やむを得ざる事情からだった。
長男だが、家業を継ぐ気は全くなかった。だから大学は商学部を選び、卒業したら商社マンになって世界を駆け巡りたいと思っていた。ところが、卒業した年が悪かった。世界経済は第2次石油危機の直撃を受け、多くの企業が就職の門戸を閉じたり狭めたりした。採用してくれる会社がない。

「仕方がないんで家に戻ってゴロゴロしていたんだが、それじゃあしょうがないと思ってね」

県立の職業訓練校に1年通い、織物の基礎を学んだ。

「不思議なものでね。その1年間がとても楽しかった。ああ、ものを創り出すって素敵な仕事なんだな、と」

金糸、銀糸を扱うノウハウを蓄積していた周敏織物はこのころ、金襴専門の機屋になっていた。

「金襴ってのはね、ひな人形の衣装や茶席、仏具に多く使われている。金襴を織るってのはいわば日本の伝統産業であるわけで、やり始めたら『これは絶やしてはいけない』と思い始めたんだ」

絶やさないためにはいいものを作らなければならない。より美しい金襴を織り出そうと、周東通人社長は美術展、書画展に足を運び始めた。

金襴の注文の大半は、京都の問屋から来る。指定される織り柄は漠然としたものが多い。それを具体的な絵柄に落とし込むのは周敏織物、周東通人社長の仕事である。
金色も一様ではない。派手やかに輝く金から渋く光を放つ金まで様々だ。そして、金に組み合わせる色も考えなければならない。
ここにはどの赤を使おうか?
緑を入れたいが、深い緑がいいか、明るい緑がいいか。
図柄を描き出すにも色の組合せは無数にあるのである。

「周敏さんに頼めば間違いない。仕上がりを見ると、ああ、ここには赤の中でもこの赤しかないよな、という色をピッタリと使ってくれる。全体を見ても色の組合せが絶妙でね」

とある問屋さんがいった。それを伝えると、

「そうかなあ。うん、何となくこの赤じゃなくちゃいけないな、と思うから使っているだけなんだが」

と周東通人社長は戸惑った顔をした。

だが、周敏織物の倉庫には、常に1000色以上の糸の在庫がある。それでも

「これじゃなくちゃいけない」

と思う色が見付からないと、糸を染めに出す。

それも、見方を変えれば「道楽」なのだろう。そこまで求める人はいないかもしれないのに、自分の思い通りの布を織り上げてやろうと自分を叱咤激励するのだから。
やはりDNAは受け継がれているのではないか。

写真:工場で周東通人社長

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