大学を中退して実家に戻った後、ジャカードミシンに使う紋紙を作り始めたのも役に立ったかも知れない。ジャカードミシンとは、自動的に図柄を縫う自動ミシンである。いまはコンピューターが制御して図柄を縫うが、当時は、紙に穴を空けた紋紙がコンピューターの役割を果たしていた。
すべて独学だった。生地の上に刺繍糸をどう走らせるか考えながら一つ一つ穴を空ける。出来上がると試し縫いをする。縫い上がった刺繍に納得がいくと、その紋紙を刺繍屋さんに納品する。
「この紋紙じゃうまく縫えないよ」
とクレームが来ると、
「そんなはずはない。ミシンの調整が悪いんじゃないの?」
と出向いてミシンを調整した。
コンピューターが主流になって紋紙作りはやめたが、ミシンの知識は随分増えた。
【何とかしてやりたいな】
実家から数台の特殊ミシンを譲ってもらい、特殊刺繍を始めたのは昭和50年頃である。当時刺繍には追い風が吹き、仕事はいくらでもあった。特殊刺繍はミシン1台で1パターンしか出来ない。だから仕事幅を広げるため、ミシンを増やし続けた。といっても新品を買ったのはほんの10台程度。あとは廃業する刺繍屋さんからもらったり、中古を探したりで、いつの間にか180台まで増えた。
だが、それだけなら、刺繍屋さんの独立話、成功譚にすぎない。櫻井さんが特別なのは、ほかの特殊刺繍屋さんが嫌がる仕事をこなすほど特殊ミシンを使いこなす「機械職人」だからである。櫻井さんは何故、「機械職人」になったのだろう?
櫻井さんに聞いても
「うーん」
と言うだけでよく分からない。そこでパートナーの裕見子さんに同じ質問をぶつけてみた。
「ホントね、何故だろう?」
ご無沙汰しています。
何度かお邪魔させてもらいましたが、何故刺繍やさんは初めてしりました。
日本の数々のアパレルの刺繍を支えて下っているのは櫻井さんです。
陰ながら感謝しています、高い技術力と人柄素晴らしいです。
私も滅多にいないミシン好きな一人、何処かで通じるものが有るかも知れません、
何時までも難題にチャレンジしてください。