【恩師】
帰国・即入社である。考えたこともなかった日々が始まった。
経理を学ぶ。数字が分からなくては会社経営は出来ない。
織りを学ぶ。織物とは複雑な構築物である。その構造を知り、構造の作り方を身につけなければ織ることが出来ない。
工場に入る。注文を受けて生地を織り上げるのが仕事である。経糸、緯糸をセットして織機を動かす。織機の構造も学ばねばならない。
外注さんと知り合う。外注さんとは、仕事が溢れたとき、あるいは特殊な織り方が必要なとき、仕事を頼む家内工業的な機屋さんである。彼らの助けがなくては仕事が回らない。
営業に出る。既存のお得意さんに加え、新しい取引先も開発しなければ経営は立て直せない。
父・章さんも穣さんが戻ったことが心強かったらしい。長年付き合ってきた東京の問屋さんに
「今度長男が戻ってきてくれてねえ」
と嬉しそうに話した。普通なら、
「そうかい。それはよかったねえ」
で終わる会話だろう。ところが、この問屋さんはさらに言葉を継いだ。
「よし、俺があんたの息子の面倒を見てやる。立派な機屋に育ててみせる」
その問屋さんから、穣さんを指名した注文が入り始めた。
「それがねえ、どうやら周りの機屋さんが『こんなもの、出来ないよ』と断った仕事ばかりだったようで、『おいおい、どうすりゃ織れるんだよ』といいたくなる注文ばかりなんです。ある程度仕事が分かった今なら私も断ったはずです。でも、素人の恐ろしさというか、知らないから引き受けちゃったんですねえ」
引き受けた以上、織らねばならない。工場の従業員に相談しても
「そんなもの、無理、無理」
と取り合ってもらえない。困り果てた牛膓さんは、気が合って何かと頼りにするようになっていた外注さんを訪ねた。話をすると
「そうかい。うーん、何とかなるかも知れない。あんたと2人でやってみるか」
といってくれた。
「ええ、そんな具合で、無理難題をいくつもこなしましたよ。でも不思議なもので、そんなことを続けていたら、この仕事が段々面白くなりましてね」
運命の糸がつながった。つないでくれた問屋さん、外注さんは牛膓さんの恩師である。
写真:応接室での牛膓さん