福島からバイクで乗り付けた高校生がいた。
「俺、鍛冶屋になりたいんです。伝統工芸士を目指してます。弟子にしてもらえませんか?」
ほう、福島からわざわざ、ね。しかも、まだ高校生で。どこで私を知ったのか?
悪い気はしなかった。だが、小黒さんは丁寧に断った。
「うちじゃ修行にならないよ。いろんなものを作るからね。修行するんなら専門の鍛冶屋さんでみっちり基礎を勉強した方がいい」
鍛冶の仕事を覚えるには、同じものをいくつも作ってコツを飲み込むしかない。鎌を作り続けて仕事を覚えた小黒さんはそう思う。いまの小黒さんのような多品種少量生産では毎日作るものが変わる。だからコツをつかむのに時間がかかってしまう。それは気の毒だ。
どう頼まれても、だから弟子は取らない。
「その修行が終わったらおいで。いくらでもアドバイスはしてあげるから」
そんな小黒さんだが、実は1人だけ弟子がいた。一人息子の充さんである。別に強制も説得もしなかったのに、桐生工業高校に通っている間から、店が忙しい時は黙って仕事を手伝った。卒業してもそのまま鍛冶場に残った。
高校の先生は、
「充君は成績がいい。是非大学に行かせてほしい」
と言ってこられたが、断った。家計にゆとりがなかった。
充さんは不満を口にするわけでもなく、大学の「だ」の字も口にせずに黙々と鍛冶仕事に取り組んだ。
「やっと仕事の相棒ができたみたいで、嬉しかったなあ」
仕込んだ。毎日朝8時から夕方6時まで一緒に鍛冶場に立ち、火の管理、鍛接、火造り、研ぎ、焼き入れ……。
「やっぱり、学校ってすごいもんだね。私は長年の勘で仕事をするんだが、工業高校を出た充は理屈を知っていた。私の方が教えられたこともいっぱいあったよ」
覚えが早かった。失敗は繰り返さない。加えて、なにやら自分で工夫も加えているようだ。
「こいつ、俺より腕のいい鍛冶職人になるんじゃないか?」
期待が膨らんだのは、親の欲目だけではなかったと思う。
客に受けた注文を
「お前が打ってみろ」
と充さんに回したのは、わずか半年か1年後だ。客は
「いつもいい物を打ってもらって。小黒さん、いい跡継ぎができたね」
と喜んでくれた。