布のマジシャン トシテックスの1

【故新井淳一氏】
日本を代表し、世界的にも大きな評価を受けた桐生市のテキスタイル・プランナー。それまで誰も目にしなかったテキスタイル、つまり織物を数多く産み出し、三宅一生氏、川久保玲氏ら、国際的にも名高いデザイナーに素材を提供した。作品を集めた個展を国内外で幅広く開催し、世界のテキスタイルデザインを牽引したといわれる。また、国内繊維産地の技術アドバイザーを務める一方、美術・工芸大学の教壇にも立って後進の指導に力を注いだ。
一般的にはテキスタイル・デザイナーと呼ばれることが多いが、新井氏はデザイナーという言葉を避け、プランナーと称した。布地のデザインをするだけでなく、織り方を含めた織物の総合的なクリエイターであるとの自負からだったと思われる。
1983年、毎日ファッション大賞特別賞受賞。1987年には英国王室芸術協会から英国名誉産業デザイナーを与えられた。また2003年、英国芸術大学連合から名誉博士号を受け、経歴は栄光に包まれている。そのためか、新井氏を慕って県内外から桐生市に移り住み、繊維産業に飛び込んだ若者も数多い。いまや彼らが繊維産地桐生の中核になろうとしている。

【開眼】
トシテックスを経営する金子俊之さんも新井氏の影響を受けた1人である。といっても、同じ町で生まれ育った大先輩に、地の利を活かして教えを受けたというのではない。

「新井さんの作品を初めて目にした時、なんかこう、開放感みたいなものを味わったんですね。新井さんが創り出した物って、それまでの織物では考えられなかったものかりでしょ。伝統的な織物に囲まれて育った目に、ああ、織物ってこれでもいいんだ、これでも織物として評価されるんだ、って映りまして。ええ、世界が広がったように思ったんです」

金子さんは2000年、一族が経営する金子織物から独立した。東京・六本木で開かれた新井さんの個展に足を運んだのは独立する前のことだ。

「これでいいんだったら、私にも出来るんじゃないかな、ってね」

独立した金子さんは機屋を開業した。自分では織機を持たず、新しい織物を求める客と企画を練り上げ、纏まったら外注に出す仕事である。独立当初は順調だったが、時を追って仕事が減った。これはいけないと、イタリア製の編み機を導入して群馬大学、群馬高専と炭素繊維の編み物を水質浄化に活かす研究・開発を始めた。その後スカーフを編み始めたが、どれも思ったように行かない。
そんなとき、新井さんの作品を思い出したのは、あの時思いがずっと頭の片隅で生き続けていたのかもしれない。

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