不思議なことに、それでも智司社長に絶望感はなかった。いいマフラーを作り続ければ、絶対に何とかなると、何故か確信していた。
「私は全国の同業者を全て知っています。うちで作っているようなものを作れるところはどこにもありません。国内で作れないものはアジアでは絶対に作れません。そんな松井ニット技研が潰れるはずがないんです」
とはいえ、仕事は毎年目に見えて減り続けている。だから従業員も減らし、残った従業員には減給もお願いした。この上何をやれば松井ニット技研は生き延びることができるのか?
「A近代美術館みたいなやり方をほかでもやってみるというのはどうだろう?」
どちらが思いついたのか、今となっては記憶が曖昧だ。だが、どちらが言い出したにせよ、もう一人が反対することはなかった。何しろ、2人で頭を絞ってそれしか思いつかなかったのだからやってみるしかない。
A近代美術館みたいなやり方とは、間に問屋やアパレルメーカーを挟まず、自分たちで企画、デザインしたマフラーを直接小売店に売ることである。少し難しく言えば、流通の合理化だ。
松井ニット技研と消費者の間に挟まるところが多ければ多いほど、中間業者に落ちる金が多くなって松井ニット技研の利益が減る。それに、間に挟まるところが多ければ、消費者がどんなマフラーを欲しがっているのかなど、ものづくりに必要な情報が歪んで伝わって来かねない。歪みが大きくなれば商機を逸することにもなる。
A近代美術館は松井ニット技研から仕入れたマフラーを、自前の販売網で消費者に販売した。中間業者がいない分、松井ニット技研の利益率ははるかに高く、消費者に直接売っているA近代美術館からの情報で市場の動きもよく分かった。それがいい結果に繋がっている。その手法を使おうというのである。
そして、A近代美術館が教えてくれたことがもう一つあった。マフラー市場にはびっしりと網の目が張り巡らされて入り込む隙間はどこにもないように見えるが、それでも隙間があるということだ。その隙間をニッチマーケットという。A近代美術館に声をかけられるまで、美術館でマフラーを売るなんて考えたこともなかった。絵画や彫刻などの美術品を見にやって来た人たちが、その場でマフラーを買うなどということがあるのかと半信半疑で出荷してみたら、一つのデザインでは記録的な売り上げになった。それだけでなく、利益率は高く、市場の反応がビビッドに伝わってくる。
松井ニットはニッチマーケットの存在に初めて気がついたのだ。その気付きを生かさない手はない。
写真:A近代美術館に出荷したマフラーの一部。