【中国陝西省文物展】
群馬県高崎市にある群馬県立歴史博物館で「中国陝西省文物展:悠久の遺産」という企画展が開かれたのは1987年(昭和62年)のことである。その年のはじめのことだった。
「新井さん、あなたの織物に色はつけられませんかね」
そんな打診をしたのは、群馬県庁の職員だった。文物展で販売する記念品を考えている。群馬は絹の産地、そして織物の産地だ。だから、出展される兵馬俑や唐三彩を織物に出来たら素晴らしいと思うのだが、兵馬俑はいいとしても、唐三彩は色が命。あなたが織っている絵画のような織物に色はつけられないか?
腕に覚えのある職人は、
「出来るか」
と問われて
「出来ません」
という一言は口が裂けても吐かない。實さんは
「やってみましょう」
と引き受けた。引き受けた以上、話を持ち込んだ県職員の期待を上回るものの織り上げてやる、と意気込むのも職人である。
経糸(たていと)は白にし、色は緯糸で出す。緯糸を黒と白に限ったモノクロの絵画織りでは32のパターンでうまく行った。工場にある織機は12本の緯糸を使うことが出来るから12色をつけるのはたやすいが、それでは薄っぺらくなる。どうやって深みを出すか。
實さんは織物を四層構造にすることを思いついた。糸の色をそのまま出すには一番上に緯糸を通せばいい。そうではない色が必要なら、白を入れて5、6色の糸を重ねる。白の経糸のすぐ下に赤い糸を通せば薄い赤になり、白、白、赤と重ねれば赤はもっと薄く見える。青と黄を重ねれば緑が出るし、青と赤なら紫である。
まだコンピューター制御のジャカード織機は普及していないころである。ジャカード機で経糸を上下に分ける綜絖は、分厚い紙に穴を開けた紋紙で制御していた。紋紙は穴のあるなしで0が1か、綜絖を上げるのかそのままにしておくのかの信号を出す。
實さんは紋紙に穴をあける専門職人を雇い入れた。自ら設計した織りを、紋紙に移してもらう。そして、織る。
「まだ粗いな」
そのたびに、紋紙を作り直す。修正に修正を繰り返して織り上げた作品は、織物とは思えないほど唐三彩を写し取っていた。絵はがき大の、しかも彩色は織った後で施す中国製と違い、33×44㎝の堂々たる大きさで、後手間の要らない織物である。博物館の企画展で額装して販売した。
「えっ、これ、織物なの?」
期待以上の売れ行きだった。