【横振りに迫りたい】
布に模様を入れるには3つの手法がある。ジャカード織りで模様を入れるか、生地にプリントするか、それとも刺繍を施すか、である。
それぞれに優劣があるわけではない。目的別に使い分ければいい。しかし、刺繍にはほかの2つの手法にない特徴がある。他の2つが平面なのに対して、刺繍は糸を重ねて築き上げる立体構造物なのである。平面での模様を木版刷りの浮世絵に例えるなら、刺繍は油絵の世界だ。光の当たり方、見る人の目線で刺繍糸は色を変え、刺繍は表情を変える。刺繍糸の向きを工夫し、糸による凹凸を組み合わせれば、刺繍は百面相になる。その刺繍の特徴を極限にまで追求し、横振りミシンによる刺繍を芸術の域にまで高めたのは桐生市在住の現代の名工、大澤紀代美さんである。
近藤さんは、大澤さんの作品が羨ましくて仕方がない。
「糸を走らせる方向、糸の重ね方はいくらでも工夫できます。でも、ジャカードミシンでは横振りミシンでできる柔らかさがどうしても出せない」
横振りミシンで縫った刺繍は、生地の上で刺繍糸が少しだけ緩んでいる。しかし、ジャカードミシンで縫うと、刺繍糸は生地に糊付けされたように張り付いてしまう。そうなるようにジャカードミシンが作られているので、近藤さんには何ともできないのである。
「だから、ジャカードミシンによる刺繍は、良くいえばカッチリしている。悪くいえば冷たい。あの横振りの柔らかさ、味わいの深さには届かないのです」
時折、
「横振り風の刺繍にしたいんだが」
という注文が来るから、それなりの工夫はしている。ミシンの針は生地を突き通すのが普通だが、途中布に届かない程度に下げる箇所を入れるのである。サテン打ちといい、これで少しは生地の上の刺繍糸が緩んではくれるのだ。
「でも、これでは大澤さんの世界にははるかに届きません。何とかならないかと考えているのですが」
何とかならないかと工夫する。それは優れた職人の持病である。
【工夫、工夫、そして工夫】
刺繍の一技法にピコ加工がある。生地に穴を空け、その穴で紋様を作る。太い針を使い、生地に穴を空けるのと同時に穴の周りをかがり、ほつれないようにする。
だが、1つだけ泣き所があった。ピンと張られた生地に空けた穴は生地が引っ張られているため自然に塞がってしまう。それを避けるため太い針を使い、そのまま周りをかがるから、太い針のため穴の周りに小さな針の跡が残ってしまって美しくない。