1970年代、競泳用水着が大きく進化し始めた。
それまでのオリンピック選手が身につけていたのは、私たちが海やプールで身につける水着とほとんど変わらない水着だった。水着とは人前にさらすことがはばかられる身体の一部を隠すものでしかなかったのである。水着を武器として記録を伸ばすという発想は、まだどこにもなかった。
1964年、東京オリンピックで日本の競泳選手が使った水着は、トリコット編み(高給肌着やマフラーなどに使われる編み方。伸縮性がありほつれにくい)したナイロン100%の生地でできていた。この編み方だと縦には伸びないが横には伸びる。そのため、泳いでいると身体と水着の間に水が入って膨らみができて水の抵抗が増すのだが、それが問題だという意識はなかった。
続く1968年のメキシコ五輪でも、水着の素材はやはりナイロンのトリコット編みだった。女子用水着の腰にくびれを入れるなど、身体の凹凸に合わせた裁断が採用されたのがほとんど唯一の進化だった。
1972年のミュンヘン五輪では女子用水着の背中の中央に縫い目線を入れて動きやすくした。だが、生地は依然としてトリコット編みのナイロン。
勝つか負けるかの勝負の世界である。勝利を求めて「改良」の努力は継続された。だが、「改良」をいくら積み重ねても「革命」にはならない。