【枇杷色】
田島さんは4人の子どもを育てた。1番下の実里さんが成人式を迎えたのは、田島染工を閉じる少し前の2000年である。
これで子ども全員が成人する。人生の一区切りだ。何か記念になる祝い方ができないか。田島さんは考えた。
自宅の玄関前に大きな枇杷(びわ)の木がある。ある日、何の気なしに見ていたら急に想い出が沸き上がった。子どもたちと実を採って食べた。鳥をみんなで追い払った。この木に登る子どもたちをハラハラしながら見守った。特に、末っ子の実里はお転婆だったから……。
「そうだ、この木で実里の振袖を染めてやったら、家族の思いがいっぱいこもった晴着になる!」
だが、枇杷の葉で染めた布は地味な茶色だ。晴れの日の衣装には地味すぎる。しかし、何とかならないか。そうだ、鹿の子絞りにすれば実里にも似合う、あか抜けした着物になるのではないか
鹿の子絞りとは、生地に糸でたくさんの絞りを作って染める手法だ。まず、生地を四つ折りにし、その角を糸で縛って絞りを作る。こうして数千箇所を絞った生地を染め、あとで絞った糸を全て取り除く。糸でくくったところは染まらずに白く残り、四つ折りにした先端は染まるため、小さな白い輪が鹿の紋様のように繰り返す。
これなら、枇杷の地味な茶で染めても飛びきりお洒落な生地に仕上がるはずだ!
絞りができた生地を探した。だが、余りに手数がかかるためか、すでに国内では手に入らないことが分かっただけだった。鹿の子絞りは無理か? 想い出の詰まった枇杷の木で染めることはできないのか?
諦めかけたとき、思いもしなかったところから鹿の子絞りの生地が手に入った。群馬県内の女子大で寮母をしている親族から
「中国人の留学生が、国から取り寄せた生地を譲ってもいいといっている」
と連絡が来たのである。
「それからもひと苦労でね」
玄関先の枇杷の木から葉を取り始めた。着物1着分にはまだまだ足りないと取り続けると、45リットルのゴミ袋5袋分の葉がたまった。
次は色素を煮出さなければならない。大鍋に水を張り、ネットでくるんだ葉を入れ、沸騰させて15分。同じ葉を2回ずつ煮出して、約100リットルの染色液ができたのは3日後のことだった。媒染剤は市販の銅焙煎液を使った。
寸銅鍋に染色液を入れ、媒染剤で濡らした生地を入れる。80℃〜90℃に加熱して10分から20分。染めムラができないように常にかき回す。1度だけでは色が薄く、この作業を3回繰り返して濃い「枇杷色」を手に入れた。2日がかりの作業だった。
「自分で言うのもおかしいけど、嬉しくなるほどの染め上がりでした」
実里さんが仕立て上がった晴着で成人式に臨んだのはいうまでもない。
「桐生が大雪に見舞われた日だったという想い出があります」
実里さんはすでに2児の母だが、父が染めた枇杷色、鹿の子絞りの晴着は、いまでも大切に仕舞っているのはいうまでもない。