真珠のネックレスに使われる真珠の大きさは様々だが、一般的には直径6.5㎜から9.5㎜である。「大粒が魅力」とうたう南洋白蝶真珠でも11〜13㎜、10㎜以上がメインというタヒチ黒蝶真珠でも、出回っているのは11〜13㎜が多い。
片倉さんは13㎜に挑戦した。折角なら一番大きな真珠を目指したい。
開発はのっけから苦労の連続だった。思っていた通り、「珠」を大きくすると算盤玉のようなひしゃげぶりが目立つだけではない。糸がバランスを失って「珠」が崩れやすいのである。それに、突き通す距離が伸びるからだろう、針が頻繁に折れる。糸切れにも泣かされた。
「どこがいけないんだ?」
パソコンで「珠」への針の落とし方の画像を拡大して解析した。無理な力がかかっていそうなところは0.1㎜単位で針をずらした。
「珠」を作る糸の重ね方も改良した。
改良に次ぐ改良、といえば前向きに聞こえるが、現実は失敗に次ぐ失敗である。なかなか13㎜の「珠」は姿を現してくれない。
だが、あのトーマス・エジソンは
「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、上手くいかない方法を見つけただけだ」
という言葉を残している。成功するためには失敗を積み重ねなければならないのである。
片倉さんは諦めなかった。すべての可能性を試してみるまでは、できないと言ってはいけないのだ。
そのころ、自宅を建てた。設計士と話していて、住宅建設の要諦は基礎にあると教えられた。地盤改良、基礎工事の大切さである。
「そうか。ひょっとしたら『珠』も同じなのではないか? 基礎を考え直そう!」
「珠」の中心に小さな空洞をつくってみた。球をつくるのにそんな手法があると、何かで読んだ記憶が蘇ったのだ。
思った通りだった。中心部に小さな空洞を持った「珠」は丸みが増した。安定感も生まれた。もう、13㎜でも算盤玉ではない。
「最初に『珠』を創った時に比べれば、あの時の開発努力で土地勘みたいなものが出来上がっていたので、それほど苦労をしたとは思いません」
片倉さんはそういうのだが、再び片倉チームは、「不可能」を「可能」にした。
そして片倉さんはここでもデザイナーとしての欲を出した。シャネルのネックレスに多い何重にも巻くネックレスにしようと思ったのだ。それもシャネルとは違い、1本だけでもアクセサリーになる。だが、2本、3本と増やしてもエレガンスを失わないデザインに挑んだのだ。
そして2014年のインテリア・ライフスタイル展。「笠盛」ブースには、直径13㎜の「珠」も入った「スフィア」が並んだ。注目度が一段と高まったのはいうまでもない。
片倉さんは、2013年に出品した「スフィア」を、「スフィア1.0」と呼ぶ。そして、2014年に出したのは「スフィア2.0」だ。直径8㎜だった「玉」が13㎜に成長した。
4年目は「スフィア3.0」ができた。ずっと悩まされていた算盤玉が、やっと出っ張りのない「球」になった。
いまは「スフィア4.0」の時代である。糸の重ね方を改良し、「珠」が崩れにくくなった。
思えば、当初は50%にも達しなかった歩留率が、いまでは90%を超えている。「000」の「スフィア」は成長を続けている。
——どこまで成長するのですか?
と聴いてみた。片倉さんは
「さあ、天井がどこにあるのか、私にも分からないのです」
と答えた。
ついでに、質問を重ねた。
——改良にも苦労されたようですが、そもそも、刺繍の職人さんからも「無理だ、できない」といわれた「珠」をどうしても創り出そうと決意したのは何故なのですか? 「KASAMORI LACE」を手がけてモーダモンまで出かけながら、なかなか実績が上がらなかった。クッションをなくした『000』はアクセサリーが支えなければならない。そんな焦り、切迫感がありませんでしたか?
片倉さんはしばらく考え込んで答えた。
「焦り、はありませんでした。いま考えると、会社の中での自分の振る舞い方というより、クリエーターとして何かを生み出したいという思いが強かったように思います。私が何かを創り出せば、それが会社に貢献することになるのだろう、と考えていたようです」
これまでなかったものをつくりだすクリエーターとは、そのような人らしい。