近藤さんは生花店「花清」の経営者である。昼間は仕事で忙しい。大会の準備に費やせるのは1日の仕事を終え、夕食を済ませたあとの時間だけである。加えて、月曜と金曜は早朝、東京まで花の仕入れに行かねばならない。朝が早いので前日は早く休まないと体が持たない。準備、あるいは大会の練習に使える夜は週に5日ということになる。
そんな厳しい日程の中で、仕入れの準備をしなくてもいい日は夕食、入浴を済ませると、店の一角にあった作業場に陣取った。
デザインの狙いをさらに先鋭化した。アイデアを煮詰めると、どうやら私は、アクリルの筒の中にすっぽり収まった「人工の自然」と、アクリルの筒を取り囲む「本来の自然」のコントラストを描き出したいらしい。筒の中は人の手が加わった自然という矛盾した存在にする。筒の外には、風雪に耐え抜いて枯淡の域に達した自然をあしらおう。「綺麗」と「綺麗ではない」との対比。考えてみれば、きらびやかな現代文明は、植物が朽ち果てて出来た石炭や石油の恩恵があってはじめて成り立っている。そんな世界を表現できないか。
「何故か、そんなコンセプトに捕らわれましてね」
器はすでに決まっている。あとは花材である。出場を決めたのは秋だが、コンテストが開かれるのは年明けの2月だ。秋の花と年明けの花は違ってしまう。花材を決めたのは店頭に並ぶ花が入れ替わる1月半ばだった。
アクリルの筒の中は人工の自然である。できるだけキラキラしたイメージを創り出したい。そのために最終的に選んだ花は
白:カラーリリィ
黒:黒百合
黄色:ラン
ピンク:トルコキキョウ
だった。白・ピンク・黄色の組合せで華やかさを醸し出し、黒をあしらってアクセントにする。
「できるだけ華やかなものにしようと思いました」
アクリル筒の外側に配したのはシダの仲間、ビカクシダのかたまりだった。これで、人の手が入らない大自然を代表させる。
使う花材、器が決まっただけではデザインではない。これを組み合わせてどう造形すれば
「恥をかかない」
作品にできるのか。花の組合せ方、空間の演出、陰陽の対比、直線と曲線の配置……。考えなければならない要素は限りなくある。
夜10時、11時まで花との対話が続いた。すでに店は閉じている時間だ。だが、近藤さんが花と格闘する作業場には当然灯りがあり、それが外に漏れる。
「近ちゃん、遅くまで精が出るねえ」
通りかかった知り合いが店をのぞき込み、声をかけることもあった。だが、そんな励ましの言葉も、近藤さんの耳にはほとんど届かなかった。それほど熱中していた。
何度も
「これじゃあ恥をかいちゃうわ」
と壁にぶつかった。恥はかきたくない。デザインを基本から見直したのは6、7回にも上る。
「1つのデザインをずーっと追求しているとスランプに陥るんです。評価する眼力が自分の技術を上回って『ああ、ダメだ』というスランプは技術を伸ばしてくれるんですが、逆に技術が眼力を上回って陥るスランプもある。眼力が技に追い付かないから、自分がデザインしたものがいったいどういうものなのか、これでいいのかどうかがわからなくなってしまう。そんなことの繰り返しでした」
何としても優勝する、という力みはなかったものの、恥をかかない作品にしなければという産みの苦しみは十分にあったのである。
「まあ、いまある花材だったらこれがベストか」
と自分で納得できるデザインが仕上がったのは1月も下旬になってのことだった。大会はもう目と鼻の先に迫っていた。
写真:近藤さん、店で