使ったのは、まだ2、3年ものの松の若木である。この若木を使って松の老木を写し取らねばならない。駆使したのは「矯(た)め」と呼ばれる手法だ。
松も、若木はほぼ真っ直ぐに伸びている。一方の老木は曲がりくねって、いかにも年老いて腰が曲がってしまった風情がある。若木でこの老木の姿を出すため、指の力で枝を曲げて形を整えるのが「矯め」という技だ。柔らかい木なら素直に曲がるが、固い木はほんの少し折って曲がりを出す。そのままでは樹皮が裂けて中の白い繊維の部分が見えてしまうから、数本の木の「少し折った」部分を組み合わせて見えなくするのがコツである。
近藤さんは7本の松の若木を組み合わせた。祖父や父が矯めているところは見たことがある。しかし、自分に出来るだろうか? あの時父は、こうしたはずだ。必死に記憶を呼び覚まし、何とか活け終えた。中心になる1本を「く」の字型に矯めたのが、中学1年生の工夫である。ほかの6本は形を整えてこの1本の周りに集めた。矯めた部分は木の繊維が見えないように組み合わせ、1本の木に見えるようにした。何とか活け終えてはみたが、これで良かったのかどうか。形が整っているのかどうか。自分では全く判断がつかなかった。
「できました」
と声をかけると、宗司さんは出来上がった作品をしばらく見ていた。これでいいとも悪いともいわない。やがて
「ふむ、まあ、いいだろう」
といいながらほんの少し手を加えた。近藤さんの目にも、見栄えが一段と良くなったように見えた。
「父は、お弟子さんに対しても、まず活けさせてみて、後で一部に手を加えながら指導するという教え方をしていました。私にも同じ手法を使ったわけですが、『これはダメだ』とはいわれなかった。私は『まあ、いいだろう』というのは褒め言葉なのだろうと受け止めました」
門前の小僧習わぬ経読む
という。
生まれて初めて活けた花が、家元から
「まあ、いいだろう」
と評価された。門前の小僧、いや生花店、華道教室の3代目は、知らず知らずのうちに華道の基本を身につけていたらしい。
花や樹木に囲まれた暮らしをしていれば、自然に花や樹木の名前を覚え、それぞれの性格に詳しくなることはあるだろう。だが、全体の形の整え方、組合せ方、空間の演出の仕方など活け花に必要な知識、技までいつの間にか自然に身につくものなのだろうか? それとも、近藤さんには生まれつき備わった資質があったのか?
近藤さんが父・宗司さんの弟子になったのはこの日からである。修行が始まった。毎週日曜日の夜、父を前に花を活ける。花材は季節によって変わる。1月の松に続き、2月は梅である。この木は矯めずにそのまま使う。いいところを残してほかは切り落とし、切り口は絵の具を塗って樹皮と色を合わせる、3月はユキヤナギ、4月は桜……。
華道の流派、池坊では木と花を組み合わせる。しかし、古流は1種類の木しか使わず、花を組み合わせることはない。近藤さんの修行はまず、木から始まったのだった。
「楽しかったかって? うーん、修行ですからね。でも、この活け花の世界に徐々に惹かれていったことは確かです」
そしてこの年から、近藤家の正月の花は、「3代目」が活けるのが習わしになった。
写真:近藤さん、店で