日本1のフローリスト—近藤創さん その12 スランプ

この頃、日本のフラワーデザインは大きな変革期を迎えていた。

当時のフラワーデザインの主流はドイツデザインである。ドイツのフラワーデザイナーが日本の華道、小笠原流を研究して生み出した。華道の世界には日本ならではの美意識が埋め込まれている。空間を生かし、省略することでより大きな世界を表現する。ヨーロッパには、花で空間を埋め尽くすようなオランダデザインもあったが、いつの間にかドイツデザインがヨーロッパを席巻し、それが日本に逆輸入されて日本でももてはやされていた。

近藤さんは草心古流の華道を学んだ。自分がやって来たフラワーデザインも、華道とフラワーデザインを融合させたものだ。だから、ドイツデザインはすぐに理解できた。自分が進んできた道と同じなのである。近藤さんはドイツデザインに熱中した。ドイツ語の本を取り寄せた。文章は読めないが、知りたいのはデザインである。写真を見れば分かる。

学ぶことは多かった。近藤さんのフラワーデザインにドイツデザインの影響は沢山見て取れる。近藤さんは自然を切り取ったようなデザインをする。水盤にコスモスを挿すとしよう。近藤さんは、コスモスが自然に生えているように挿す。そしてアクセントに、1本だけ斜めに挿す。

「野に生えているようにできたのがベスト、だと思います」

だが、それが「人口の自然」に見えてはいけない。まだ熟度が足りないのである。
そして、どこまでも「花」を主役にする。

「もちろん、私がデザインするのですから私の思い通りに挿しますが、でも私の思い通りになっていてはいけないのです」

何やら禅問答めくが、それがドイツデザインに共感する近藤さんのフラワーデザインである。

だが、新しく押し寄せてきた流れは破壊的だった。理詰めともいえるドイツデザインへの挑戦は、「理」を「感性」に置き換えるものだった、ともいえる。芸術の世界に例えれば、モダンアートともいえる作風である。
例えば、苔を使って椅子を作った作品があった。素材は自然のものだが、それを何故椅子の形にしなければならないのか? 青竹を角度を変えて何カ所も切断し、切り口を回転させてつなぎ合わせた作品も登場した。どちらも高い評価を受けた。

それまでのフラワーデザインに慣れた目から見れば、異様な作品である。だが、見方によっては、それでも

「美しい」

と近藤さんの目にも見えることがある。そして、この「異様」な造形をした作品が高く評価されるようになった。時代とは、目新しいものを求めるものらしい。リズム、メロディ、ハーモニーを3大要素としたクラシック音楽から、その全てを取り去った現代音楽が生まれたことにも似た流れともいえる。いつしか、ドイツデザインは主流から外れ始めた。フラワーデザイナーが、いつの間にかフラワーアーティストになった。

「これはもう花屋の世界ではありません。私は嫌いだし、ついて行くことはできませんでした」

近藤さんが、ドイツデザインが分かり過ぎたのも

「ついて行けなかった」

原因である。

「分かりすぎ、共感しすぎたんです。私は自分の道を持ちすぎて、その道を外れることができなかった。新しい流れの作品を見ると、『あんなものを』という思いがどうしても沸き上がってきたのです」

こうして近藤さんは、再び「無冠の帝王」になってしまったのだった。

「だけどね」

と近藤さんはいう。

   近藤さんの作品 12

「そういう、流れが変わったことだけがあの時期の不振の原因だったのかな、とも思います。だって、私の作品を見て、『近ちゃんのは綺麗だよね』といってくれる人はまだまだたくさんいたんですから」

だったら、どうして「無冠の帝王」に戻ったんでしょう?

「やっぱり、天狗になって謙虚さを失っていたのかな、と。だって、32歳で審査員でしょ。神様みたいなデザイナーと肩を並べたんです。俺はこんなに若くしてこの地位をつかんだ、という思い上がりがあったのかな、とも思うんですよね」

そう気がついた時、近藤さんは新しい挑戦を始めた。自分の道で世界一を目指したのである。現代音楽がもてはやされても、モールアルトやベートーベンの音楽を高く評価する人は多いではないか。私の道だって同じではないか?

写真:デザインした花の前で近藤さん

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