桐生の左官、海を越える 野村裕司さん  第1回 プノンペン

カンボジアの首都プノンペンの国際空港に降り立った1人の日本人を、東南アジア特有の「冬」が迎えた。気温は30℃を越えているだろう。日本では「真夏日」である。だが、空気が乾燥しているのか、風が肌に心地よい。いまカンボジアは1年で一番過ごしやすい乾期である。
空港を出た群馬県桐生市の左官、野村裕司さんは空を見上げた。まだ明るい。ふとひとりごちた。

「この季節、こんな時間だと桐生は夕闇に包まれているが、プノンペンはまだ明るいんだな」

2015年1月11日夕のことだった。

野村さんは海外旅行が好きである。中学生のころから地理の勉強に身が入った。世界各地の地図を開き、

「ここでこれを見て、このルートを通って次の目的地に向かう。あ、これだったらもう1カ所回れるぞ」

と、世界旅行のプランをいくつも立てた。まだ見ぬ風景、写真でしか知らない歴史遺物、顔立ち、風貌、体格、言葉が私たちと違った異国の人々。野村少年の頭には、いつかは行ってみたい、踏みしめてみたい土地への憧れがいつもあった。

その夢が実現し始めたのは、18歳で始めた左官という仕事に慣れ、暮らしが安定してからだった。地図で辿った見知らぬ土地への憧れが、

「世界の左官職人はどんな仕事をしているのだろう? この目で見てみたい。私は世界の左官職人に引けを取らない仕事をしているのだろうか?」

という探究心と重なった。
だから、機会があるたびに海外に出た。同業者の慰安旅行、金融機関が主催する視察旅行、気の合う仲間と出る旅、同じ探究心を持った仲間との目的を持った旅。巡り歩いた国々は30近くにもなる。

カンボジアも、世界遺産のアンコールワットを訪ねたことがある。アンコールワットは石やレンガを積み上げて作られた寺院である。であれば、石と石を繋ぐ仕事、積み上げたレンガの表面をモルタルで飾る仕事、つまり左官の仕事が残っているはずだ。800年以上も前の「左官」はどんな仕事していたのか? それを自分の目で見てみたい。
だから、カンボジアへの旅は、初めてではなかった。

だが、今回の旅は「初めて」だった。

「東南アジアの3つの国から、日本の優れた左官技術を教えて欲しいとの依頼があった。日本を代表する左官職人を派遣して、日本が実施している左官職技能検定の仕方を現地に根付かせて欲しいと頼まれている」

発展途上国の技術の底上げを手伝う援助事業である。依頼主は厚生労働省だった。その依頼を受けた中央職業能力開発協会が日本左官業組合連合会に人選を頼んだ。日本左官業組合連合会は、中央職業能力開発協会が実施している左官職技能検定試験の検定委員として4人を出していて、野村さんもその1人だった。

「野村さん、そんなことができるのはあんたしかいないよ」

野村さんに白羽の矢を立てたのは、日本左官業組合連合会の技術顧問をしている鈴木光さんだ。鈴木さんは埼玉県行田市にあるものつくり大学の客員教授でもあった。いわば左官職人界の「ドン」である。断る術はなかった。いや、むしろ

「行ってみたい!」

と思った。自分の技が発展途上国の役に立つのなら、こんなに名誉なことはないではないか。

だから、今回のカンボジア訪問は物見遊山ではない。研究のための行脚でもない。日本を代表する左官職人としての「公務」の渡航だった。そして、日本の左官の技術が、初めて海を越える旅でもあった。

野村さんはプノンペン国際空港を出ると、成田空港から同行した中央職業能力開発協会の職員と2人、迎えの車に乗り込んで宿舎であるホテルに向かった。
さあ、明日からは真剣勝負である。カンボジアで左官職人を目指す若人たちを育てる検定制度をこの国に根付かせなければならない。

何だかわくわくしている野村さんがそこにいた。

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