ミシンの魔術師—大澤紀代美さん 第6回 デザイナーたち

いまでは「ドン小西」と表現した方が通りがいいかも知れないファッションデザイナー、小西良幸さんとの仕事が始まったのは、カーンとの仕事が終わって間もない1987年のことだった。知り合いの女性に

「小西さんと会ってみませんか」

と誘われ、東京まで足を運んだのだった。

小西さんは1981年に独立、「フィッチ・ウオモ」ブランドを立ち上げ、パリコレクション、東京コレクションなどに出品する新進のデザイナーだった。国内でビートたけし、谷村新司たちに愛用されていただけでなく、世界中に多くのファンを持つロック歌手、エルトン・ジョンも「フィッチ・ウオモ」のファンだった。
華々しい活躍を続ける小西さんはこの当時、新しい路線に挑んでいた。それまで前面に押し出していたニットを、織物に切り替えようとしていたのである。
ところが、ニットでは多彩なデザインを生み出して高い評価を受けた彼だが、織物には苦労していた。織物を生かした新しいデザインを模索中だったのである。

「実は、刺繍を大胆に取り入れたいと思い、あれこれ捜してみたのですが満足な刺繍職人が見つからないのです。いろいろ調べてやっと貴女のことを知りました。大澤さん、お手伝いいただけないでしょうか」

彼が持ち出したアイデアは一風変わっていた。
ジャケットのすべての面を刺繍で埋め尽くしたい。アイデアは固まっているのだが、これまで当たった刺繍職人ではどうしても思ったようなものが出来ない。

すべてを刺繍で埋め尽くすとすれば、仕立てる前の布地に刺繍をしなければならない。刺繍を施した布地を縫い合わせてジャケットに仕上げるので、問題は縫い合わせるときに刺繍の柄がきれいに繋がるかどうかである。それが、これまで頼んだ刺繍職人ではできなかった。

「大澤さん、あなたならやっていただけると思っています」

他の誰にも出来なかった。大澤さんはこの言葉に弱い、永遠の挑戦者だからである。二つ返事で引き受けた。

2年後の東京コレクション。小西さんのジャケットが大きな話題になった。ヒンドゥー教の神、観音菩薩……。背中にも胸にも袖にも、デフォルメされた神や仏が刺繍されている。下絵は小西さんが描いた。その色を決め、縫い目で0.5mmもずれることがない刺繍に仕上げたのは大澤さんだった。

「売れたんだそうですよ。1着100万円も200万円もするジャケットが100着以上売れたんだと聞きました」

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