ミシンの魔術師—大澤紀代美さん 第8回  パリ

    大澤さんが、芸術の都パリで個展を開いたのは1993年のことである。

「糸の出会い展」

とタイトルを付けた。
といっても、自分で企画し、準備したのではない。お膳立てされて、それに乗っかった。

「パリで個展をやりませんか」

と誘ったのは、刺繍糸の大手、パールヨットの川口喜八郎社長(故人)だった。確か、1989年のことだ。

「スポンサーもつきますよ。準備はすべてこちらでやりますがどうでしょう?」

大澤さんは若い頃から、自分の刺繍に使う糸は自分で染めていた。しかし、注文が増えて仕事に追われるようになると、糸を染める時間がなかなか取れない。とうとう市販の刺繍糸を使い始めたのは20代後半である。その時手に取ったが急成長中のパールヨットの糸だった。

大澤さんが川口社長と初めて会ったのはそれから10数年後、東京で開かれた刺繍用資材の展示会だった。大澤さんの来場を知って川口社長が挨拶に来た。交わす言葉でパールヨットの糸を使っていることを伝えると、

「大澤さんに使っていただけるとは、光栄です」

と川口社長の目が輝いた。以来、食事をともにする機会が増え、やがて刺繍糸の開発を手伝ったり、川口社長の要請で東京刺繍協同組合の青年部立ち上げを手伝ったりと、付き合いは深まっていた。でも、パリで個展?

パリには一度行ったことがあった。郊外にある布の資料館を訪ね、ルーブル美術館に日参した。刺繍の巨匠といわれるフランソワ・ルサージュに会い、外の人には見せたことがない工房、作業部屋まで案内され、親しく言葉を交わした。一緒にエマニュエル・カーンのプレタポルテの仕事をした縁である。

「そうか、パリか。ルーブルもまだ見足りないし、向こうがやってくれというんだからたいして責任を感じることもないし、まあ、いいか」

パリで個展。芸術やファッションの世界で生きている人なら震え上がるほどの喜びだろう。だが、大澤さんには力みは皆無だった。

スポンサーになったのはパールヨット、日本航空、それにヨーロッパの刺繍糸の大手、フランスDMCである。「糸の出会い展」とは、パールヨットの日本製の刺繍糸、フランスDMCのヨーロッパの刺繍糸の両方を使って縫った刺繍画を展示するために付けたタイトルだった。

大澤さんによると、フランスDMCの刺繍糸はコットンがいい。つや消しの色調に味がある。全体を埋めると重い感じになるが、風景画で要所要所に使えば深みが出る。大澤さんは5、6点の制作に取りかかった。仕上がると、すでに制作済みの作品と合わせて20点ほどをパリに送った。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です