趣味? からくり人形師佐藤貞巳さん   第10回 ロケット

当時、宇宙が急速に身近になっていた。宇宙をまず引き寄せたのはソ連である。昭和32年(1957年)、人類初の人工衛星打ち上げに成功すると、1ヶ月後には犬を宇宙に送り込んだ。世界初の宇宙飛行士となったのは昭和36年(1961年)にボストーク1号で地球を周回したユーリ・ガガーリンである。地球に戻った彼が口にしたと言われる

「地球は青かった」

は一時、流行語になった。

宇宙開発競争は一面では軍事力の競争である。東西冷戦のさなか、宇宙空間をどちらが支配するのか。宇宙開発でソ連に遅れをとり続けたアメリカは危機感を強め、昭和36年、ソ連より先に月に人を送り込むとケネディ大統領が言明する。人類は月面に立つことが出来るのか。ソ連とアメリカの激しい競争で、日本でも宇宙への関心が高まっていた。

佐藤さんはここに目をつけた。からくりでロケットを打ち上げる。
大仕掛けだった。店の前に屋根と同じほどの高さの櫓を組む。その上に、高さ9mはあろうかという舞台を作った。そこに、地球と月がある宇宙の絵を描いた幕を掛ける。その幕の上と下に、自転車のリムを一つずつ仕掛け、ピアノ線をぐるりとかけた。これが、ロケットの軌道である。

ロケットは竹で編み、アルミホイルで外観を整え、中に小型の交流モーターを仕組んだ。モーターにはプーリーが付いており、このプーリーに先のピアノ線を巻き付ける。モーターが回ればプーリーが回転し、ピアノ線に沿ってロケット上昇するのである。ロケットのお尻には赤いランプを取り付けたから、ロケットは赤い炎を吐き出しながら宇宙に登っていくように見える。一番上まで登ったロケットはピアノ線に沿って幕の裏に入り、やがて幕の下から姿を現す。

「それでね」

と佐藤さんは語る。

「交流モーターを回すには交流電源がいる。だから、ロケットの上昇軌道の両側に裸の銅線を張って、そこに100Vの電気を流した。ほら、電車のパンタグラフみたいに、そこから電気を取るわけですよ」

良くできた仕掛けである。だが、思わぬ事件が発生した。電車でも時折見かけるが、この裸電線とロケットの電気取り入れ口が接触するところでスパークが発生し、火花が飛んだのだ。見せ物としては華やかさが増すが、危険である。

「それで、東京電力が来ちゃった。危ないから止めろ、っていうんです。『ああ、済みません。分かりました。これからは手動でロケットを動かしますから』って謝ってね」

だが、からくりにのめり込んでいる佐藤さんは、「かつて」のガキ大将から、「今」のガキ大将に戻っている。ガキ大将は滅多なことでは大人の注意を聞き入れない。

「東京電力が帰っちゃうと、またスイッチを入れて電気で動かしました。だって、お客さんが押し寄せるんですもん。凄い人だかりが出来て、『まだか、まだか』ってロケットの打ち上げを待っている。スイッチを入れるしかないでしょ?」

その年、佐藤さんのからくりは、みごとに知事賞を受賞した。賞金は5万円だった。

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