佐藤さんのからくり人形創作に強い関心を持ち、曾我兄弟のからくり人形が見つかった1997年からずっと取材を続けてきたロボット学者がいる。桐生市出身で筑波大学名誉教授の松島皓三さんだ。ただ取材するだけでなく、佐藤さんの頭の中にしかないからくり人形の図面を起こし、それをもとに人形の動きを機械工学的に数値分析して説明する作業を続けてきた。松島さんの努力は5冊の冊子にまとめられている。
その5冊目のタイトルは「戻橋」である。
「戻橋」は歌舞伎舞踊で、本題を「戻橋恋の角文字(つのもじ)」という。渡辺綱が夜の一条戻橋で美女と道連れになったが、その美女は実は鬼女の化身で、見破った綱が名刀「髭切り」を一閃、片腕を切り落とす、という物語である。
2015年始め、桐生市の松島さんの実家から2体のからくり人形が見つかった。調べると、大正5年(1916年)の桐生天満宮のご開帳の際、本町5丁目が上演した「戻橋」に使われた人形だった。何らかの経緯で松島さんの父が入手、保存していたものらしい。
「佐藤さん、我が家からこんなものが見つかった。修復してくれませんか」
長年の知己である松島さんの依頼を佐藤さんが断るわけはない。
このからくり人形芝居は次のように進む。
舞台にはすでに見抜かれて元の姿に戻った鬼女と抜刀した右手を下げた渡辺綱が立つ。綱は左手で鬼女の右腕を掴んでおり、次の瞬間に右手を振り上げると悪鬼の右腕を切り落とす。悪鬼は飛び上がって逃げようとし、綱は切り取った鬼女の腕をさらしながら見得を切る。飛び上がった悪鬼は口を大きく開けて綱をにらみつけ、髪の毛を逆立てて怒りをあらわにする。
以上は修復なった「戻橋」である。
松島さんがまとめた冊子によると、
「(オリジナルは)単に綱は太刀の上げ下ろし、鬼女は、口の開け閉め位の仕草であったろう」
つまり、見得を切ったり、髪の毛を逆立てたりというのは佐藤さんの「改造」が生み出した仕草である。
で、佐藤さん、これからどんなからくり人形を作ってみたいですか? と聞いてみた。私が聞かなくても、佐藤さんは必ずからくり人形を作り続ける。佐藤さんのひらめきからどんなからくり人形が生まれるのかが知りたかった。
「うん、私流の『弓曳童子(ゆみひきどうじ)』を作ってみたいんだよね」
「弓曳童子」とは、江戸からくりの最高峰の一つに数えられるからくり人形である。台座の上に乗った人形が、横に置かれた矢台から次々に4本の矢を取り、弓につがえて放つ。ギヤやカムを使った精巧なからくりだ。
佐藤さんの挑戦は、江戸から伝わるもののそっくりさんを作ることではない。必ず一工夫、二工夫を加えてオリジナルを越えたものを作ってしまう。
「ええ、私がこれまで見た弓曳童子は、弓に矢をつがえて引き絞るときに、弓の方を倒すんですよ。弓の上の方が人形から離れ、下の方が近付く。それで矢を飛ばすんだけど、あれ、不自然だよね。だって、本当に弓を曳くときは、右手で弦と矢を耳のあたりまで曳くでしょう。第一、弓の方をあんなに傾けたんじゃ、矢は的に当たらないわね」
ほう、それではどんな弓曳童子ができる?
「人形を少し大きめに、そう、身長80cm位にして、右手で曳くんです。それに、いまある『弓曳童子』は人形の下にある台座が、人魚と同じぐらいの高さがあって、いかにも複雑でしょう、といわんばかりにメカニズムを見せている。あんなもの、いらないんじゃないかなあ。もっと簡単な仕組みできると思ってるんですけどね」
2019年現在、佐藤さんは74歳。昭和58年(1983年)に心臓を患い、依頼ペースメーカーに頼って命を繋いでいる。
「だからね、私は生かされているんです。せっかく生かされているんなら、面白いことをやらなきゃね」
仕組みは簡単ながら、右手で弓を曳き絞る弓曳童子。一日も早く見てみたいと思うのは筆者だけではないはずである。