色の移ろい 天然染色研究所の3
【枇杷色】 田島さんは4人の子どもを育てた。1番下の実里さんが成人式を迎えたのは、田島染工を閉じる少し前の2000年である。 これで子ども全員が成人する。人生の一区切りだ。何か記念になる祝い方ができないか。田島さんは考え...
【枇杷色】 田島さんは4人の子どもを育てた。1番下の実里さんが成人式を迎えたのは、田島染工を閉じる少し前の2000年である。 これで子ども全員が成人する。人生の一区切りだ。何か記念になる祝い方ができないか。田島さんは考え...
【紫紺】 古代色の復元に取りかかったのは65歳前後だった。 まず手がけたのは、高貴な色とされていた紫だった。聖徳太子の冠位12階でも最高位の人だけに許されていた色である。 紫を染めるにはムラサキツユクサの根を使う。この色...
【草木染め】 文字通り、草や木を使って繊維を染めること。私たちの祖先はすでに紀元前3000年頃には布を染め、色を身にまとい始めたといわれる。当初は木の実や花、葉を布にこすりつけて色を付けただけだったろう。やがて花びらや木...
【工夫】 正確さ。それは機拵えの絶対条件である。間違いなく組み立てられた架物がなくては、布は織れない。 だが、それだけで足りるのなら、筆者にだって明日からできそうだ。まず、今泉さんの仕事の進め方をじっくり見せてもらう。全...
【見よう見まね】 家業を手伝い始めたのは中学3年の頃だった。当時の今泉家には広い田畑もあった。機拵えを手伝い、仕事に空きができると百姓仕事に精を出す。今泉さんの職業生活はそんな始まり方をした。 「百姓仕事の方が良かったよ...