その1 かかってきた電話
「松井ニット技研様でしょうか。突然お電話して失礼します。実はお願いがあってお電話を差し上げているのですが、いまよろしいでしょうか?」 松井智司社長、敏夫専務の記憶によると、桐生市本町4丁目の松井ニット技研の事務室で電話が...
「松井ニット技研様でしょうか。突然お電話して失礼します。実はお願いがあってお電話を差し上げているのですが、いまよろしいでしょうか?」 松井智司社長、敏夫専務の記憶によると、桐生市本町4丁目の松井ニット技研の事務室で電話が...
話を元に戻す。 いま思い返せば、何とも要領を得ない会話だった。だが、松井ニット技研が多くの人の賞賛を受けるマフラーメーカーになる歴史は、この突然の電話から始まったといってよい。 しかし、敏夫専務はその美術館を知らなかった...
智司社長の奥さんが入れたお茶を前に、訪れた3人の話はA近代美術館の説明から始まった。智司社長、敏夫専務の記憶によると、こんな話だった。 1929年に開館したA近代美術館は、近代芸術を世界中から幅広く集めて展示しています。...
購買担当の女性が気に入ってくれた2つ目の点、房の作り方は智司社長が工夫に工夫を重ねて生み出したところだった。 マフラーは、首に巻く本体部分と、両端を飾る房の部分を別々に編み、あとで縫い合わせるのが普通の作り方である。だが...