その11 KNITTING INN
当初は順調に進むかに見えた若手デザイナーの独立は、何が悪かったのか、3年ほどで躓いてしまった。松井ニット技研からは「Knitting Inn」ブランドのマフラーや生地を作る仕事がなくなり、「Knitting Inn」」の...
当初は順調に進むかに見えた若手デザイナーの独立は、何が悪かったのか、3年ほどで躓いてしまった。松井ニット技研からは「Knitting Inn」ブランドのマフラーや生地を作る仕事がなくなり、「Knitting Inn」」の...
とはいえ、他の人が一度は立ち上げるのを失敗したブランドである。ケチがついてしまったたブランド名ともいえる。 「そんなことはまったく気になりませんでした。何しろ、私たちはラッセル機※を使ったニットには自信があります。こんな...
注文の大波が西から押し寄せてきた。2006年のことである。といっても、関西や中国、九州の百貨店や美術館が 「うちでも松井ニット技研のマフラーを扱いたい」 と大口の注文を入れてきたのではない。すべて小口の、電話やファックス...
当時、関西で松井ニット技研のマフラーを販売していたのは倉敷市の大原美術館だけである。だから、倉敷市に近くの方には大原美術館をご案内した。大原美術館から遠い客は住所、氏名、電話番号をメモして、代引きでの発送を約束した。 そ...
好循環。一つの成功が次の成功を招き寄せ、螺旋階段を登るように全てが上へ上へと伸びていくことをいう。 日本の繊維産業が、生産地を中国やタイ、ミャンマーなどアジア諸国に移す動きはそれからも加速する一方だった。その波は全国を覆...