桐生を誇りたい! アマチュア史家・森村秀生さん 第17回 鹿沼、空白の4日間
覚成寺はいまでもみどり市大間々町の中心街を外れた山地にある。覚成寺を訪れた森村さんは、もう一つの看板に気が付いた。「覚成寺の歴史」とあり、その中に 「古い時代、この覚成寺は現在地より西北の山中深くにあったが、明治四十五年...
覚成寺はいまでもみどり市大間々町の中心街を外れた山地にある。覚成寺を訪れた森村さんは、もう一つの看板に気が付いた。「覚成寺の歴史」とあり、その中に 「古い時代、この覚成寺は現在地より西北の山中深くにあったが、明治四十五年...
そして、鹿沼での4日間が残った。 川越では徳川家康を神にする大法要を営んだのだから4日間という日数は必要だっただろう。だが、鹿沼にはそんな記録はない。目的地である日光は目と鼻の先だ。たった1日の行程でたどり着けるところま...
森村さんの研究が次に向かったのは、家康の遺体の遷座である。 徳川家康は元和2年(1616年)4月17日、駿府城で身罷った。当時の数え年では75歳の生涯、満年齢で数えると、73歳4ヵ月の生涯だった。亡骸は遺言に従い、その日...
山王一実神道は難しかった。 まず、教義がはっきりしない。研究書がほとんどない。いったい、どんな宗教なのか? 徳川家康は山王一実神道の教えで日光東照宮に祀られた。であれば、日光東照宮になら山王一実神道の研究成果があるかも知...
森村さんが自宅に「桐生山王一実研究所」の看板をかけたのは2014年1月のことだった。不死の道と桐生新町の謎の斜めの線。その解明に行き詰まった森村さんは、であれば、徳川家康の人生観、世界観までを知らねば、と考えた。そこに謎...