日本1のフローリスト—近藤創さん その11 指導員
そして近藤さん、32歳。 「えっ!」 という依頼が舞い込んだ。 このころ「花キューピット」と呼ばれるようになっていたJFTD(Japan Flower Telegraph Delivery=日本生花商通信配達協会)の本部...
そして近藤さん、32歳。 「えっ!」 という依頼が舞い込んだ。 このころ「花キューピット」と呼ばれるようになっていたJFTD(Japan Flower Telegraph Delivery=日本生花商通信配達協会)の本部...
「あ、私は基本に囚われすぎていたのではないか?」 と気が付いた時、近藤さんは28歳になっていた。私は学びすぎたのではないか? と思いついたのだ。 それを近藤さんは 「学ぶことの落とし穴に落ちていたようなんです」 と表現し...
善は急げ。近藤さんは大学を卒業するとすぐに桐生に戻って「花清」に入った。そしてもう1つ「善」が重なった。5月に祐子さんとゴールインしたのである。2人3脚の歩みが始まった。 己の美しさを競うように咲き誇る花々を商う生花店は...
「花清」の屋号は、創業者である祖父・清さんが 「花の清さん」 と呼ばれていたのがルーツである。その清さんが、この大会に付き添っていた。自分が興した事業の後継者である子と孫が全国大会に参加する。その姿を自分の目で見たかった...
近藤さんは、活け花にはある程度の自信があった。中学生で父に学び、高校生になると手ほどきを受けることもなくなっていたからである。お前に教えることはもうない、と認められたということだろう。 だが、その父が、生花店が生き延びる...