ミシンの魔術師—大澤紀代美さん 第11回 大将
1947年(昭和22年)9月、桐生市はカスリーン台風と後に命名される暴風雨に襲われた。町を挟むように流れる渡良瀬川、桐生川が氾濫、多くの死者・行方不明者が出ると共に63%の家屋が浸水被害を受けた。 大澤さんは当時、新築間...
1947年(昭和22年)9月、桐生市はカスリーン台風と後に命名される暴風雨に襲われた。町を挟むように流れる渡良瀬川、桐生川が氾濫、多くの死者・行方不明者が出ると共に63%の家屋が浸水被害を受けた。 大澤さんは当時、新築間...
出会った日のことは、いまでも明瞭に覚えている。17歳の春だった。 数日前、父の知り合いが遊びに来ていた。日頃から、大澤さんが高校にも行かずに絵に没頭している話を聞いていたらしい。顔を見ると、話を切り出した。 「紀代美ちゃ...
日本の伝統的な技術の世界では、技は教わるものではなく盗むものである。大澤さんが踏み出した世界も、技は先輩の作業を見ながら盗むものだった。 毎日が格闘だった。絵心はあるはずなのに、ミシンの針先から思ったような刺繍が生まれな...
わずか2ヶ月で、先輩の女工さんたちを追い抜いてしまった大澤さんの技術は、そこで止まりはしなかった。自分に厳しい人である。 刺繍の目に力を持たせるには。 生きているような毛並みに縫い上げるには。 自分で自分にテーマを課し、...
キム・ノヴァクから始めた肖像画は年間3、4枚のペースで縫い続けた。第3回で書いたように、日を追って注文は増え、肖像刺繍作家としての名は上がってきた。 それでも、気持ちが荒むのを止めることは出来なかった。 「多分、父との対...