ミシンの魔術師—大澤紀代美さん 第12回 出会い
出会った日のことは、いまでも明瞭に覚えている。17歳の春だった。 数日前、父の知り合いが遊びに来ていた。日頃から、大澤さんが高校にも行かずに絵に没頭している話を聞いていたらしい。顔を見ると、話を切り出した。 「紀代美ちゃ...
出会った日のことは、いまでも明瞭に覚えている。17歳の春だった。 数日前、父の知り合いが遊びに来ていた。日頃から、大澤さんが高校にも行かずに絵に没頭している話を聞いていたらしい。顔を見ると、話を切り出した。 「紀代美ちゃ...
日本の伝統的な技術の世界では、技は教わるものではなく盗むものである。大澤さんが踏み出した世界も、技は先輩の作業を見ながら盗むものだった。 毎日が格闘だった。絵心はあるはずなのに、ミシンの針先から思ったような刺繍が生まれな...
わずか2ヶ月で、先輩の女工さんたちを追い抜いてしまった大澤さんの技術は、そこで止まりはしなかった。自分に厳しい人である。 刺繍の目に力を持たせるには。 生きているような毛並みに縫い上げるには。 自分で自分にテーマを課し、...
キム・ノヴァクから始めた肖像画は年間3、4枚のペースで縫い続けた。第3回で書いたように、日を追って注文は増え、肖像刺繍作家としての名は上がってきた。 それでも、気持ちが荒むのを止めることは出来なかった。 「多分、父との対...
32歳。父が亡くなり、会社がなくなり、家も土地もなくなった。大澤さんを取り巻く世の中がガラガラと音を立てて一変した。 金融機関、かつての取引先、出入りの大工から御用聞きまで、債権者は容赦なかった。先を争うように家にずかず...