それにしても、である。桐生という町はなんと豊かなのだろう。
いまの桐生を知る方々からは
「それは皮肉か」
と罵声を浴びるかも知れないが、九州の炭鉱町で生まれ育った筆者にはそう思えて仕方がない。
炭鉱町は、たまたま土中に石炭があったから誕生した。世の中が膨大なエネルギーを必要とする時代になると、その担い手として繁栄した。しかし、石炭とは40数億年の地球の歴史が残してくれた遺産にすぎない。掘り続ければいつかは枯渇してしまう天然資源である。加えて、土中には石炭よりももっと使い勝手のいい石油が埋蔵されていた。石油の掘削技術が確立し、エネルギー資源の主力が石炭から石油に移ると産炭地は衰退した。時代に追い越されてしまったのである。石炭層の上にいて時代の寵児になり過ぎていたために、私のふるさとの衰退には歯止めがかからなかった。
桐生は織都と呼ばれる。白瀧姫の伝説によれば1300年にわたって織物の歴史を刻んできた。関ヶ原の戦いで、徳川家康率いる東軍にわずか1日で2410疋の籏絹を献上して絹織物産地としての名を高めて近世産業都市となり、類例をあまり見ないほどの繁栄を始めたときから数えても400年を超す。
そして、織物とは土中に埋まっているものではない。人が身体を使い、工夫を重ね、知恵を絞って生み出すものである。織都の繁栄は各地から様々な人たちを引きつけ、桐生は繊維関連技術が集積する町になった。人の労働と工夫と知恵が生み出す製品は、天然資源のように枯渇することはない。今でも桐生は
「繊維関連のあらゆる技術が集まった、世界でも類例を見ない都市」
と言われる。
二渡さんが生を受け、「FREE RIDE」というバイクライダーのメッカを産み出した桐生とは、そんな町である。