ある日、フラリと店に入ってくる人があった。中年過ぎの男性である。どうみてもバイクライダーには見えない。いったい何の用だろう?
「いや、うちでも同じようなジャケットの縫製をやってまして。通りかかったらそのジャケットが目について、つい覗かせてもらいました」
桐生にもフライトジャケットを作っている縫製工場がある! 興味を惹かれた二渡さんはコーヒーを出してもてなした。お互い気があったのか、縫製の難しさから客の反応まで、話はあちこちに飛びながら弾んだ。
それ以来の付き合いである。理想のバイクウエアを自分で作りたいと考えているうち、ふとこの社長のことを思い出した。そういえば、フライトジャケットを縫っているんだったな。あの会社なら縫製技術はあるはずだし、協力してもらえるかも知れない。早速会社を訪ねた。
だが、返ってきたのはやんわりとした拒絶だった。
「お気持ちは分かりますが、バイク用に売れるのはアメリカ仕様のウエアです。客は日本で新しく作ったバイクウエアには見向きもしないに違いない。買ってくれる人がいないのなら作る意味はないでしょ?」
いや、そうではないはずだ。現に、バイクが何より好きな私が、アメリカ仕様のフライトジャケットに不満が募らせている。多くのバイク好きは、それしかないからアメリカ仕様のフライトジャケットを使っているだけなんだ。心の中では、本当に使えるバイクウエアを待ち望んでいるはずだ!
魚のいるところに糸を降ろすのが釣りの王道だとしたら、二渡さんは魚がいるかどうか分からないところに糸を出し、魚が飛びつきたくなる餌をつけて魚を集めようというのである。ビジネスの王道は前者にある。後者を選ぶのはパイオニアと呼ばれる一握りの人たちだけだ。