「星」にかける 高橋デザインルームの1

【意匠】
広辞苑第三版は、「意匠」を
・工夫をめぐらすこと。趣向。工夫。・美術・工芸・工業品などの形
・模様・色またはその構成について、工夫をこらすこと。また、その装飾的考案。デザイン。
と説明している。しかし、広辞苑編纂者の調査は繊維の世界までは及ばなかったようで、繊維業界でいう「意匠」は、この定義からややはみ出す。
織物の世界の「意匠」は、デザイン画(「図案」という)を、織機で織れる組織図に変換することをいう。外観、内装のイメー画をもとにビルの設計図を描く建築設計士に似た仕事ともいえる。

左の図のように、織物の柄は同じものが繰り返されることが多い。図案はその1単位、この図でいえば罫線で囲まれた1つのマスを描いたものだ。
意匠屋さんは1単位の図案を受け取ると、その上に透明のパラフィン紙を置き、図案の四隅に印をつける。そしてこれを折りたたんで筋目をつける。図案の上に罫線を乗せるのである。

次に、図案の4倍ほどある罫紙(「意匠紙」という)に、パラフィン紙の罫線を頼りにこの図柄を写し取る。パラフィン紙の1つのマス目に

左のような線があったら、意匠紙の該当するマス目に同じ線を描き込む。マス目を頼りに図案の拡大図を描くわけだ。出来上がったものを「前図」という。「前図」は線描画で、まだ色は付いていない。

一徹 喜多織物工場の3

【化学少年】
喜多さんは「凝り性」である。1つのことを始めると、まるで取り憑かれたかのように熱中してしまう度合いが並外れている。

機屋の長男に産まれたから、いずれ繊維関係の仕事をするのだろうと桐生工業高校紡織科に進んだ。だが、繊維関係ではもっぱら染め屋さんの領分である化学に取り憑かれる。部活動で化学部を選ぶと代々染め屋という友人ができ、

「2人で、文化祭での研究発表用に桐生川が染色に及ぼす影響を研究しよう」

と話がまとまった。

織都桐生は全盛期。市内東部を流れる清流、桐生川には友禅流しをする染め屋さんの姿が絶えなかった。染まっては困る所に糊を置いて染める友禅染では、染め上がれば糊を洗い落とす。その作業が友禅流しである。

ちょうど1年間、1日も欠かさずに桐生川で水を汲み、分析した。

「俺どんな結論を導き出したのかはもう忘れちまったけど、あれですっかり化学が好きになってね。よし、高校を出たら東レや帝人など、化学繊維を作っている会社に入ろう、必要だったら大学にも行こう、と思い始めたんだよ」

だが、家の事情が許さなかった。喜多織物工場を創業した父・英太郎さんは人望があり、いつしか同業者たちのリーダーに担ぎ上げられて家業に割く時間がなかなか取れなくなっていた。

「卒業したら家の仕事を手伝ってくれ」

となったのも、やむを得なかった。
決して本意ではなかったが、喜多さんが志望通りに東レや帝人に入っていたら、喜多織物工場が産み出す最高級の紗織り、絽織りは存在しなかった。何が幸いするか。人生とは先が見通せないから面白い。

 【紗織り】
知り合いの機屋さんから

喜多織物工場は広幅の紗を織る。

「広幅の紗織りをやってもらえないか」

と頼まれたのは、喜多さんが30歳になろうかというころである。それまでの喜多織物工場は広幅の生地を織っていたが、紗織りはやったことがない。しかも、幅40㎝ほどの着尺ならともかく、難しさが数倍の広幅だという。
戸惑う英太郎さんに

「やってみようや」

と言ったのは喜多さんだった。広幅の紗織り。難しいといわれるが、なーに、やっている機屋さんがあるじゃないか。学校の授業で教わった記憶がある。あの教科書を引っ張り出せば何とかなるはずだ。
それまでも捌ききれないほど注文はあった。だから、あえて不慣れな紗織りを引き受ける必要はなかった。それでも、

「やってみたい」

と思ったのは、いつしか育っていた、仕事を極めたいという「凝り性」が頭をもたげたからかもしれない。

一徹 喜多織物工場の2

【古い】
喜多織物工場には8台の織機がある。最新型の高速織機は1台もない。導入する金が惜しいのではない。高速織機なら生産性が数倍に跳ね上がることも知っている。

ところが。

「この、古い織機じゃなきゃあ織れないんだよ、私の紗織り、絽織りは」

どんなものでも、ゆっくりとこすり合わせればたいした変化は起きないが、こすり合わせる速度が上がると熱を持ち、傷が付く。何度も糸同士がこすれ合うもじり織りでは、高速織機では糸が切れやすくなるのはたやすく分かる。切れなくても、糸に傷がついて毛羽が立つ。どちらも生地の傷につながる。

その上、高速織機は織り上がった生地を高速で巻き取っていくから経糸に強いテンションがかかる。通した緯糸を櫛の歯のような筬(おさ)で締める「打ち込み」にも強い力がかかる。

「それで、高速織機を使うと仕上がった生地が固くなっちゃって風合いが損なわれるんだな」

新しいものが全ての面で優れているとは限らないのだ。

喜多織物工場が「最新型」でないのは織機だけではない。
「紗織り」の解説に引用した工業高校用の教科書は昭和30年(1955年)に出版されたものだ。その教科書では、もじり織りには「もじり綜絖」を使うと書いている。だから解説にもそう書いた。
ところが喜多織物工場に関する限り、この解説は誤りである。喜多さんは、もじり綜絖は使わない。
いや、一度は、

「最新式」

の言葉に惹かれて購入し、工場の織機にセットして使ったことがある。だが、

「これは使えないわ」

とやめてしまった。やめて、古い伝統的な手法に戻った。

金属で出来た「もじり綜絖」は厚みがある。それを綜絖に取り付けるから、経糸同士の間隔が広がってしまう。織り上がってみれば密度が薄い、等級が下がる紗織り、絽織りにならざるをえない。喜多さんは、それを嫌った。

代わりに使うのはふるいの糸、ふるいの板、ふるいの棒の3点セットである。「もじり綜絖」が世に出るまで使い続けられた伝統的な手法だ。金属の代わりに糸を使うから経糸の間隔を極限まで縮めて密度の濃い紗織り、絽織りを仕上げることができる。

織機と手法。二つの「古さ」が最高級の紗織り、絽織りを産み出す。

一徹 喜多織物工場の1

【紗織り】
「紗(しゃ)」という字は、「糸」偏に「少」と書く。経糸(たていと)、緯糸(よこいと)を1本ずつ交差させる平織りに比べて、緯糸の数が半分で済む織り方だからこの字があてられた。糸数が少ないため軽い。また生地に隙間が多いので透けて見え、通気性が高い夏用の布地として使われることが多い。しわになりにくいのも特徴である。高僧の夏場の衣服としてご覧になった方も多いはずだ。
紗織りは「もじり織り」(「からみ織り」ともいう)と呼ばれる織り方の1つである。「もじる」とは聞き慣れない言葉だが、広辞苑第三版は、「ねじる。よじる」と解説している。だが、「もじり織り」は糸や布をねじったりよじったりする織り方ではない。
左はかつて工業高校で使われていた教科書「機織2」に掲載されたもじり組織の図である。
(1)が紗織りで、隣り合った2本の経糸のうち1本がループ状になって隣の経糸の下を往復している(この経糸を「もじり糸」という)。ループにならない経糸を「地糸」といい、緯糸は「もじり糸」と「地糸」でできた隙間を通っているのがおわかりだと思う。もじり糸を伸ばせば右図のように緯糸と緯糸の間に経糸同士が交差するところができる。この交点があるために緯糸の数が半分に減って糸の間の隙間を作るから軽く、下が透けて見える生地になる。和服ではカジュアルやセミフォーマルな席でのおしゃれ着に使われることが多い。
同じもじり織りで、紗織りより格が高いとされるのが「絽織り(ろおり)」である。上の図の(2)を見て頂きたい。こちらは経糸のループでできた隙間に、3本以上の緯糸が通る。緯糸の数が増えるため透き通る度合いが抑えられる。結婚式、お茶席など改まった場での正装用とされる。
この2つの技法に平織り、綾織り、繻子織りなどを組合せ、多彩な布が産み出される。
経糸は最初から最後まで同じテンションで平行に張られているから、緯糸を通すループを作るには一工夫いる。恐らく、遠い昔は人手で1本1本ループを作り、緯糸を通していたのだろう。それを織機で自動的に織れるようにしたのは後代の発明である。いまは織機で経糸を上げ下げする綜絖(そうこう)に特殊な器具(「もじり綜絖」)を取り付け、ループを作る「もじり糸」を緩ませながら自動的にループを作り、緯糸を通す。
中国では唐末から宋代にかけてもてはやされ、日本では平安時代に流行したと伝わっている。

3種の経糸 桐生絹織の3

【3種の経糸】
千差万別の織り見本の注文がやってくる牛膓さんに、こんな質問をしてみた。

——一番難しかった織物を教えて下さい。

「うーん、できるまではいろいろと試行錯誤するけど、できちゃったらみんな同じように感じてしまうんで、どれが難しかったと言われても……」

しばらく考え込んだ牛膓さんはいった。

「やっぱり最初にやったヤツかなあ。あの、東京の問屋さんから来た最初の注文。あれ以上に難しいのもあったかも知れないけど、一番記憶に残っているし、それに僕の原点みたいなものだから」

経糸に素材と色、太さが異なる3種類の糸を使うものだった。黒いウール、青のアセテート、グレーのコットンである。
さらに、緯糸も3種類でウール、アセテート、レーヨンの3種。
その組合せの何が難しいのか。

経糸は織機にセットする前に、整経して糸を整える。ビームと呼ばれる筒に均等に巻きつける工程が整経である。4000本前後から1万6000本もの糸をビームに巻きつけて「玉」を作る。この「玉」を織機にセットする。

太さも素材も同じで色だけが違う経糸なら、整経の際に仕上がり通りに色を並べればよい。しかし、太さや素材が違うと1つの「玉」にはできない。太い糸の部分は盛り上がって山に、細い糸の部分は90度の絶壁にはさまれた谷になり、織っているうちにグチャグチャになりかねない。素材が違っても同じで、異種類の糸、太さや素材が違う糸をつかうには「玉」を増やす。機屋さんは「玉」を2つまででセットできる織機を持つことが多い。

難しいのは、ウールとコットンという、糸の表面に無数の毛羽立ちがある糸の扱いである。毛羽がある経糸は綜絖(そうこう)で上下に分けられるたびにこすりあい、毛羽が切れて空中を漂いはじめる。それが織機の微細な部分に入り込んで故障の原因になる。違う糸を織っている隣の織機に飛び移って生地に傷を作る。毛羽があるために隣の糸と絡んで糸切れを起こす。

だから2つの「玉」で2種類の経糸を使うだけでも大変である。それなのに、この注文は「玉」を3つ使うしかない。しかも3つの糸は伸び方がそれぞれ違う。それぞれのテンションを調整しないと、織り上がった生地がうねってしまう。

「どうすりゃいいんだ?」

と牛膓さんが頭を抱えたのは、まだ素人同然だったからではない。織りのあれこれを知り尽くしたベテランでも敬して遠ざける注文なのである。