「しかし」
と智司社長は当時を思い出す。
「みなさん、そうそうたるデザイナーさんたちとはいえ、ラッセル編み機のことはご存じありません。ニットにはどんな編み方があるのか、こういう編み目、風合いを出すにはどうやって編めばいいのか、どんな糸を選べば求めている肌触りが出るのか。そんなことを一つ一つご説明しました。ええ、世界的に注目を集めるようになっていらっしゃったデザイナーさんでもセーターなどに使う緯編(よこあみ)と、下着やカーテンが主な用途の経編(たてあみ)の違いをご存じなかったですねえ」
次々に訪ねてくるデザイナーたちに説明しながら、智司社長は一つのことを思い定めていた。
「せっかく作るのだから、この人たちがが頭に思い描いているもの以上のものを作ろう。いい意味で期待を裏切ってやろう」
工場には、慣れ親しんでその癖まで頭にたたき込んであるラッセル編み機が並んでいる。この愛機を活かして期待を裏切ってやろう。工場のベテラン職人さんたちと相談しながら、最高のニットを編むように心血を注いだ。
そんな積極的な姿勢が評価されたのか、みんな重宝がってくれた。やがて、新しいデザインの素材としての編み物を求めてくるだけでなく、新しいデザインを産み出す上での相談相手を智司社長に見いだしているかのような付き合いにまでなった。
デザイナーとは、いいものを作るためには金に糸目をつけない人たちである。手間暇がとてつもなくかかる生地を注文しているということは彼らも十二分に承知していた。そのためか、支払いは鷹揚だった。対米輸出が壊滅状態になった松井ニット技研の生産量は大きく減ったが、利益はそれまでと同じ水準か、時としては凌ぐことさえあった。
「ええ、おかげさまで、当時は社員たちと、今年は香港だ、今度はシンガポールだ、って毎年のように社員旅行に出かけていました」
デザイナーたちが求めたのは、生地だけではなかった。中には
「うちのブランドで売るマフラーを作って欲しい」
という注文も舞い込んだ。当然、色彩デザインが施されたマフラーである。
真知子巻きのブームで売れたマフラーも、対米輸出用のマフラーも、どちらも白一色だった。編み方の違い、編み目の面白さ、正確さなどで他とは違うマフラーを造っていた自信はある。だが、デザインされたマフラーとはまだ言い難い。
「そうか、マフラーも色をつけてデザインすればより美しくなるんだ」
世界に羽ばたこうというデザイナーたちはフォルムに、色選びに、その組み合わせに命を削っていた。彼らとの付き合いは、デザインすることの厳しさ、面白さだけでなく、「色」を使うことの大切さを智司社長に教えてくれた。
彼らとの共同作業で手に入れたのは、会社の利益だけではなかった。智司社長はソロリ、ソロリとデザイナーへの入り口に近づいていた。
写真:美しいデザインのマフラーを編み出すラッセル編み機