その25 世界一

松井ニット技研が生み出したマフラーが、突然「世界一」に選ばれたのは、2013年夏のことだった。コンテストがあって応募したのではない。宇宙飛行士、毛利衛さんが館長を務める日本科学未来館が勝手に選んだのである。

この年の4月、大阪・梅田に開業した複合施設「ナレッジキャピタル」が「THE世界一展」を企画した。これに日本科学未来館が協力、科学技術史グループの鈴木一義氏が監修して

「世界に誇る日本の優れた技術」

として170あまりの製品を選んだ。ソニーのウォークマン、ホンダのスーパーカブ、マツダのロータリーエンジン、日清食品のカップヌードルなどと並んで、松井ニット技研のアクリルミンキーマフラーが選ばれたのだった。すべての製品がまず大阪、次に東京で開かれた「THE世界一展」で展示された。

ひょっとしたら、あれは森山亮さんにたたき込まれた

「発注先にいわれた通りに作っていてはダメです。自分で企画をし、作り、販売するようにならないといけません」

というアドバイスが智司社長、敏夫専務の背中を押して作らせたものだったのかも知れない。作ったのは1990年代の半ばである。

このころ、三菱レイヨン(現三菱ケミカル)が新しいアクリル繊維を作った。毛羽立ちがしやすく、ミンクのような風合いが出せる、という触れ込みだった。そこは編み物職人である。興味を惹かれ、いくつか試作品を見てみた。どれも緯(よこ)編みのニット製品だった。

「この糸を経(たて)編みしてマフラーを作れないかな」

敏夫専務は別の機会に試作品を見たのだが、2人は全く同じことを考えた。松井ニット技研はやはりマフラーメーカーなのである。

・糸の特性を活かしてミンクタッチのものにする

・後処理で起毛する

・肌にまとわりつくのを防ぐため、帯電防止剤を使う

・柔軟剤を加える

と方針を決めると、新しい糸に職人魂を突き動かされた2人は早速作り始めた。

まず三菱レイヨンに数種類の太さの糸を発注した。そしてどんなものを作るか、2人で工夫を凝らした。

ミンクタッチにする。そのためには先染めは出来ない。染色と染料、染めるときの温度、染料に付けておく時間を組み合わせる技だが、100℃前後の高温にさらされたアクリル繊維は硬化して風合いが失われてしまう。一度硬化すると、元には戻せない。だから後染めにしよう。

編み方にも工夫を凝らした。ここは智司社長の出番である。ミンクの風合いを出すにはどんな編み方が相応しいのか。使い慣れたラッセル機を駆使して何度も試作を繰り返した。

「皆さんお気づきではないかも知れませんが、うちでしかできない編み方にしました。ええ、あの編み方を真似できるところはないと思います」

写真:「世界一」に選ばれたアクリルミンキーマフラー。

その26 指名買い

これだと思うものが編み上がると、次は染色である。

敏夫専務は商社時代、化学の知識も身につけていた。仕事に必要になったため、メーカーの研究所を尋ねて教えを請うたのだ。だから思いついた。

「特殊な帯電防止剤と柔軟剤を私は知っている。あれを使えばミンクそっくりのタッチが出せるはずだ!」

そして、後染めが出来るのなら是非グラデーションに染めようと決めた。染め屋さんを何件も訪ね、やってくれるところが見つかると敏夫専務が付きっきりで2つの薬剤の使用法を指導した。こうして出来上がったのがアクリルミンキーマフラーだった。

毛足が長く、柔軟剤の働きもあって肌に優しい。特殊な帯電防止剤を使っているから毛玉が出来ない。見ても触ってもミンクの毛皮のようだ。

それに、グラデーションも素晴らしい仕上がりだった。濃い緑が中央部に行くに連れてだんだん薄くなり、やがて白くなる。緑だけでなく、黒、茶、ブルー、ベージュ、紫、オレンジとたくさんの色を用意した。

「とあるアパレルにOEMで出しました。売れました。一時は生産が追いつかないほどで、嬉しい悲鳴を上げました」

やがて粗悪な類似品が出回るようになった。編み方が違い、染めの手順も違うからだろう、肌触りも風合いも全く比べものにならないものだったが、

「やっぱり良貨は悪貨に駆逐されるんですね」

安く売られる類似品に押されて売り上げが落ち、4、5年後に生産を止めた。そして、それっきりにした。

大人気商品を自力で創り出しながら、それを足場に自立しようとは考えもしなかった。だからだろうか、やがて粗悪品に市場を食い荒らされ、単なる一発屋で終わってしまった。まだ

「独自ブランドを持ってOEMメーカーを脱しよう」

とまでは思ってもみなかった松井ニット技研の歴史の一幕である。
森山さんの教えは頭にあったが、自立とは、頭にある知識だけでは出来ず、知識が心にストンと落ち、経営環境を含む周りが背中を押して初めて出来ることなのだろうか?

だが智司社長はこの時、自分の職人技、デザイン力が充分に通用するという確信は得た。いまから振り返れば、それも自立への一つの準備だったのだろう。

あれから10年以上たって、突然「世界一」に選ばれた。

「松井ニット技研といえばリブ織りのカラフルなマフラーが定番です。ミンキーとどちらを選ぼうかと迷いました」

とは、日本科学未来館開発企画担当者の話である。

2013年の「日本一」は仕事を生んだ。三越・伊勢丹グループから

「売りたい」

と声がかかったのである。ところが、生産を止めて10年以上もたつ製品だ。グラデーションの染めを頼んでいた染め屋さんはすでに廃業していた。他に当たったが、出来るというところがない。せっかくの商談も断るしかないと思い始めると、デパートの担当者は断らせてくれなかった。

「では、出来る工場を当方で探します」

店頭に並んだアクリルミンキーマフラーは、初日から

「松井ニットの黒のグラデーションが欲しい」

と指名買いが入るほどの人気を博したのである。

写真:アクリルミンキーマフラーにはこんな色もあった。

その27 UNTHINK

桐生に「UNTHINK」という勉強会が出来たのは、1995年のことである。立ち上げたのは黒沢レース(太田市)を率いた故黒沢岩雄さんだ。

この年、桐生市にある群馬県繊維工業試験場の親睦団体である群馬県繊維工業技術振興会の会長に黒沢さんが就任した。親睦団体だから、折に触れて講演会を開くのが主な活動だった。黒沢さんは前向きな経営者だった。

「俺は何かをする会長になりたい。何かいい考えはないか」

と声をかけられたのが、日頃から可愛がられていた智司社長だった。黒沢さんに

「松井君なら何かやってくれる」

と期待されていたのだろう。であれば、応えなければならない。

「こういうのはどうでしょう? 繊維の世界は縦系列ばかりです。機屋は編み屋のことを知らず、編み屋は刺繍屋のことを知りません。ちっぽけな世界で動き回って視野狭窄になっているような気がします。でも、この世界にも元気な若者はいます。編み物には経(た)て編みと緯(よこ)編みがあるように、そんな若者を縦だけではなく、業種の垣根を越えて横に繋げば、もっと業界全体が盛り上がるのではないでしょうか?」

二つ返事で採用された。機屋が編み物の技術を知る。編み屋は機屋の考え方を知る。それに刺繍、縫製などが加わって知恵を出し合えば、これまでになかった製品を生み出せるかも知れない。若い力で桐生の繊維産業を再興する!

「やってみろ」

これは、と思う若手に声をかけた。刺繍の笠盛、買い継ぎの丸中、和装小物メーカーの佐啓産業……。たちまち10数人が集まり、「UNTHINK」が生まれた。集まれば、まず飲み会である。だが、飲んでいるだけでは繊維産業の再興は出来ない。

県の助成金を得て、毎月1回例会を開いて講師を呼んで勉強を始めた。最初は、西武百貨店の婦人服部長などを歴任、後に独立してファッション業界に重きをなした三島彰さんだった。

2回目の例会に招いたのが、「ニットの神様」ともいわれた桑田路子さんである。森山亮さんが

「是非話を聞いた方がいい」

と紹介してくれた。

ニット、つまり編み物は智司社長の世界である。講演を二つ返事で引き受けてもらったあとは、ワクワクしながら例会を待った。

約1時間の講演はとても参考になった。中でも次の一言が頭にこびりついて忘れられなくなった。

「これからの時代、『多い』をキーワードに考えていくと面白くなるだろうと思っています」

なぜか、その言葉がストンと胸に落ちたのだ。

そういえば、私は「多い」に囲まれてこれまで生きてきた。子どもの頃大好きだった和服は様々な色の集まりだし、どんな色を使うかは画家の生命線の一つだ。高校生で惹きつけられた印象派の絵画も多彩な色彩が使われていたし、いまだに脳裏にこびりついているワシリー・カンディンスキーは色彩の魔術師ではないか。そして、ヨーガン・レールさんの求めに応じて、ラッセル機で多色の生地を編んだこともある……。
智司社長は新しい事業構想を考え始めた。

「多い、をキーワードにすると、多色、多重、多様、他面などいろんな言葉が生まれます。松井ニットのマフラーは、多色はもちろんですが、リブ編みで編むと組織が二重になっているので多重になり、男性にも女性にも使っていただけるジェンダーフリーという多様性もあります。リブ織りの畝は立体構造ですから多面ということにもなるんです」

智司社長は

「私は、何だか50代ですべてが始まったような気がしてるんですね」

という。半世紀にわたる様々な蓄積が混ぜ合わされ、やっと智司社長の中で熟成し始めたのがこの頃なのだ。

それから数年後、松井ニット技研はニューヨークのA近代美術館に見いだされた。間もなく独自ブランド「KNITTING INN」が生まれ、多くのファンの心を掴んでいるのはご存じの通りである。

写真:前列右端が故黒沢岩雄さん(黒沢レースにお借りしました)。

その28 クリムト

智司社長が新しいデザインに取り組むのは、毎年3月から6月のことである。この間、冬物商品であるマフラーの生産はほぼ止まる。この暇な時期を使って次のシーズンに向けた色の組み合わせを考えるのが長年の習いだ。

さて、どんなマフラーを作ろうか。新しい糸が市場に出たときは、その糸を中心に考える。新しい糸は手触りが違う。色も従来の糸に比べれば微妙にずれている。この糸の風合い、色を最大限に活かすにはどんな組み合わせがいいか。

そうでない年に参考にするのは、「UNTHINK」で勉強会に招く講師の話だ。講師は、毎年の流行色を選ぶインターカラー(国際流行色委員会)に出席して日本での色のトレンドを報告する専門家である。だから勉強会で聞く話は大変参考になる。
これからの流行色を決めるというのも不思議な話だが、インターカラーは年に2回話し合いを持ち、何と2年後の流行色を決めるのであ。それを受けて各メーカーは生産に入るため、ちょうど2年後のシーズンに「流行色」を使った商品が店頭に並ぶ。

2019年5月、智司社長はその年の秋に売り出す新しいマフラーのデザイン作業に入った。

——今年のテーマは何ですか?

「クリムトにしました。はい、4月から東京美術館でクリムト展をやってるでしょう。私、昔からクリムトが好きで、10年ほど前ウイーンのベルヴェデーレ宮殿まで絵を見に行ったこともあるんです。今年はせっかく日本で展覧会をやっているのだからクリムトをテーマにしようと、ゴールデンウイーク中に3度、展覧会を見に行って来ました」

智司社長のデザイン工房は、玄関を入って事務所の左にある6畳間である。客を迎える、あの応接間だ。座卓には数十本の同色の糸が20㎝ほどの長さにまとめられた束が10数種類置かれていた。これを並べて色を組み合わせるらしい。そばに金属製の櫛があり、智司社長は何度も糸の束に櫛を入れて糸を整えている。

その29 あなたの1本

こんな作業を毎日のように繰り返す。クリムトに寄り添い、クリムトから離れ、さらに壊して松井智司の世界を作る。そんな作業だから、一つの色系のマフラーが5、6種類出来る。ちょっと見るだけなら同じに見えるが、もう一度見るとそれぞれが微妙に違っている。黄色が少し薄くなっていたり、色の並びが変わっていたり、縦縞の幅が変えてあったり……。

「これなら市場に出せる」

というデザインが出来るまでのマフラーはすべて、捨てることを前提に作ってみる試作品にすぎない。
おそらく、このデザイン作業の中に智司社長の美意識が埋め込まれているのだ。

母やおばあちゃん、おばさんたちが身につけていた絢爛な色使いの和服、帯。

市川歌右衛門の舞台衣装、舞台の天井から下がっていたあふれるほどの藤の花。

幼い目で見た桐生の芸者さんたちのきらびやかな和服、帯。

親戚の料亭で見た置物、陶器、庭。母が選んで着せてくれた服。

中学の教科書で見たアルタミラの洞窟壁画。

高校生の時に東京で見たゴッホ。

茶の湯にのめり込んで惹きつけられた小堀遠州の「綺麗さび」。

ヨーガン・レールのデザインで見いだした多色使い。

ポンピドゥ・センターで知ったワシリー・カンディンスキーの「色の合唱」。

YEARLINGでの合唱で見いだした「倍音」の美。

イタリアで目を見開いた大胆なオシャレとファッションのコーディネーション。

……。

それらがすべて混じり合い、結び付き合って松井智司社長の美感を形作っているのに違いない。神経を研ぎ澄ませるようにして進むデザイン作業が、あなたの首を飾って気分を浮き立たせる松井ニット技研のマフラーを毎年生み出しているのである。

とはいえ、松井ニット技研のマフラーは商品である。遅くとも7月中にはデザインを仕上げ、8月には生産に入らねばならない。9月になれば

「すぐに送ってくれ」

という注文が押しかけるからだ。

だから、中には

「もう少し何とかならないかなあ……」

と後ろ髪を引かれながら生産に入らざるを得ないものも混じってしまう。もっとも、智司社長の美感に照らせば

「もう少し」

かも知れないが、筆者の目にはどれもこれも逸品に見えるのだが。

——ところで、社長は冬場になると必ずマフラーを巻いていますね。毎回違った色系のマフラーを巻くんですか?

「いや、やっぱり私は男ですし、年齢もあります。自分に合うのは、って選びますね。最近はブラウン系が多いなあ。あ、自分がそうだからといって、他の色系のデザインに手抜きをするわけではありません。念のためですが」

筆者は毎年の松井ニット技研のマフラーで、自分用にはブラック系かブラウン系に目を惹かれることが多い。あなたはどの色がお好みだろうか? 2019—2020シーズンの新しいデザインも使われた色がそれぞれ違った合唱を奏でている。あなたにピッタリの1本、あなたの目に、各色の組み合わせが倍音を見せてくれる1本はありましたか?

この原稿が公開されるころ、智司社長はすでに2020-2021シーズンに向けたデザインを終え、松井ニットの工場では生産がそろそろ始まっている。

写真:原稿の中に埋め込んだ写真を含めて、すべて2019—2020シーズンの新作です。