「私、加工屋のおっちゃんです」 Tex.Boxの3

【独立】
営業は順調だった。東京からデザイナーやそのアシスタントを同行して富士吉田市の工場に通った回数は数え切れない。そして、営業担当だった澤さんも、いつしかニードルロッカーの操作に習熟した。デザイナーと一緒に新しい布地を創る仕事は天職といいたくなるほど楽しかった。

会社に違和感を感じ始めたのは21世紀の声を聞いたころである。会社は1点ものが多いデザイナーとの仕事より、数量が出る汎用品の営業を求めた。もっと大量に売れるものの注文を取ってこい、というのである。
澤さんにも、頭では理解できた。会社は30人ほどの社員の暮らしに責任を負う。利益は多いにこしたことはない。だから大量生産が必要になる。それは分かる。会社は生きて、発展しなければならない。
だが、誰かが自分の中で、

「それじゃあ面白くないんじゃない?」

とささやく。

「創り出す仕事の方が何倍も楽しいよね」

と誘ってくる。

そんな繰り返しの日々に、澤さんは終止符を打った。このままでは会社にも迷惑をかけてしまう。自分は自分の道を進むしかないのではないか? 澤さんは自分の中の声に身を委ねた。

創業は2002年。創業の地は、自分で思い定めた

「東京に近い機場」

の条件にピッタリ当てはまる桐生市だった。大阪出身の澤さんは聞いたことはあったものの、まったく知らない土地である。ここで、自分の足で立つ。
工場を借り、1万本の針が立つボードを上下させてニードルパンチをする最新鋭のニードルロッカーをリースで入れた。多くのデザイナーや生地屋さんがついてきてくれた、
うち1軒は

「独立して金ないやろから、先に金払うとくわ」

と数百万円の注文を出してくれた。京都出身、東京で店をはる生地屋さんである。涙が出るほど嬉しかった。

「おかげで、事業はずっと順調です」

営業時代に培った人脈、そして築き上げた信頼が生きた。

「私、加工屋のおっちゃんです」 Tex.Boxの2

【ニードルパンチで服地を】
澤さんによると、ニードルパンチという加工技術に注目したのは、山梨県織物整理株式会社の渡辺明弘社長だった。英国に出張した際、見慣れないマフラーに出会った。どう見ても織り柄ではなく、ブリンとされた柄でもない。聞くと、とあるテキスタイル作家が、小さなニードルパンチ機で作ったものだという。
渡辺社長は帰国するとすぐに、中古のニードルロッカーを1台購入した。織物のマフラーの起毛処理をしていたので、

「これにニードルパンチで新しい柄を入れれば市場性がある」

と考えてのことだった。

澤さんは当時、この会社の親会社の営業マンで大阪にいた。そのまま山梨県織物整理株式会社が始めるニードルパンチ加工の営業を手伝うことになり、富士吉田市の工場でニードルパンチ加工の説明を受けた。この加工技術を売ってこい、というわけである。
マフラー地に綿のようなスライバーを乗せてニードルロッカーに送り込むと、見たこともない模様がついて吐き出されてきた。澤さんは

「こんなことが出来るのか!」

と目を丸くした。その驚きは、渡辺社長を超えていたかも知れない。

山梨県織物整理株式会社は取引のあった東京の企画会社を富士吉田市に招いた。この技術をマフラーやストールだけに使うのはもったいない。何か、目新しい、可能性が広がる使い道はないか?
何日も議論を繰り返した。新しい加工技術にすっかり魅せられていた澤さんもメンバーの一人で、沢山のアイデアを出したことはいうまでもない。
やがて、議論が収束し始めた。

「新しい服地を作ってみよう。まだ誰も見たことがないファッションが生まれるぞ!」

「私、加工屋のおっちゃんです」 Tex.Boxの1

【ニードルパンチ】
Needle(針)でpunch(パンチ=打つ、穴を空ける)する。重ねた繊維を活け花で使う剣山を巨大化したようなボードを組み込んだ機械(ニードルロッカー)で何度も打ち、上下の繊維を絡ませて一体化する加工技術。一般的には羊毛や化学繊維を打ってフェルトにする生産工程に組み込まれている。
フェルトは自動車の内装材などに使われる。フェルトの歴史は古く、日本に残っている最古のフェルトは正倉院に保管されている毛氈で、奈良時代に朝鮮半島経由で伝わったと言われる。

(上に乗っているのがスライバー)

この加工技術を服飾用に取り入れたのは、山梨県富士吉田市で織物製品の仕上げ加工をしている山梨県織物整理株式会社だった。1990年代の半ばのことである。複数枚の生地を重ねて打って1枚の布にすれば、上下の生地の糸が絡み合って上の生地には下の生地が浮き上がり、下の生地には上の柄が現れて布地が新しい表情を持つ。1枚の生地の上にスライバーと呼ぶ真綿状の物を乗せて打ち、新しい模様を描くこともある。この会社から独立して澤利一さんが起こしたのがTex.Box(テックス・ボックス)である。服飾用にニードルパンチ加工をしているのは、世界中でこの2社しかない。中国に追随する動きがあるが、技術的にはまだ発展途上だと言われる。

【超一流デザイナー御用達】
Tex.Boxは桐生市の中心街から少し外れた地区にある。近くには小学校、いまは廃校になった元中学校がある閑静な一角で、渡良瀬川にも近い。古びた建屋に社名の表示はなく、看板も立っていない。道路に向かってシャッターがあり、一見、どこにでもある単なる倉庫である。
ここが世界の超一流デザイナーの眼を惹きつけてやまないファッションの発進基地だと知る人は、地元にも少ない。

曲げる 松平鉄工所の3

【なぜ抜き型なのか】
お読みいただいたように、手作業が主体の松平さんの工場にも、少しずつだが便利な機械が入り、作業を楽にしてきた。私たちは誰も、作業をより楽に、より効率的に、より正確に進めるために人々が積み重ねてきた知恵と工夫の恩恵に浴している。
日本はその最先端にある、技術革新のかたまりのような国だ。昔ははさみ、ナイフなどの刃物類しか使えなかった形を抜く作業にも、いまではレーザー、ウォータージェットなどの最先端の技術がある。それなのに、なぜいまでも刃物を使う、見方によっては前近代的な抜き型が必要なのか? そして、なぜ手作りの一品ものの抜き型が重宝されるのか?

「型を抜くという作業を考えると、確かにレーザーやウォータージェットの方が便利でしょう。でも極めて便利に見える最先端の技術にも泣き所があるんです」

と松平さんはいう。

コンピューターに制御されたレーザーは、データを入力すれば正確に型を抜くことが出来る。

「でも、生地を2、3枚重ねただけならいいのですが、10枚、20枚重ねて一気に抜こうとすると、レーザーの出力を高めなければなりません。出力を高めると、レーザーは生地を焦がしてしまうのです。周りに焼け焦げの跡があるアップリケなんて商品にならないでしょ?」

ウォータージェット切断もコンピューターで制御できる。紙やゴムシート、プリント基板などの加工に幅広く使われている手法だ。これなら熱を持たないから生地が焼ける心配はないのでは?

「問題は水です。濡れた布地はカビが生える恐れがあります。それに、段ボールは抜くと同時に折れ線も入れなければならない。抜き型じゃないと出来ません。もっとも、これはうちでは作っていませんが」

松平さんは、織都桐生に相応しい布の抜き型を今日も作り続けている。

曲げる 松平鉄工所の2

(この凹型と凸型で鋼を曲げる)

【曲げる】
ベンディングマシンの機構は極めてシンプルだ。平らな作業台があり、真ん中にやはり鋼で出来た凹型と、先が尖った凸型が出ている。この凹型に平板を固定し、凸型を足で操作して凹型のくぼみの部分に押し当てて少しずつ平板を曲げていき、指定通りの型に仕上げる。最後に必要なところを溶接すれば抜き型の出来上がりである。

(ベンディングマシンの下にあるペダルで凸型を操作する)

曲げすぎたと思ったら手で伸ばし、もう一度ベンディングマシンで曲げればよい。急角度に曲げるときはバーナーで熱して柔らかくしてからベンディングマシンにかける。
どう見ても単純な作業である。だが、単純だから優しい作業であるとは限らない。中華料理の世界では、チャーハンの味で料理人の腕を測ると言われる。最もシンプルな作業が最も腕の違いを見せつけるのである。

平板の両方に刃が付いた抜き型を頼まれることがある。靴や手袋など左右があるもののパーツを1つの抜き型で切り抜く道具として使うものだ。両刃の抜き型は上も下もまったく同じ形をしていなければ、1つの抜き型で左右のパーツを作ることはできない。つまり、平板の上下の線に対し、曲げるところは正確に直角になっていなければならない。

——両刃の平板を作業台に強く押しつけて曲げてやればいいのではないですか?

「いや、人間の感覚なんて大変あてになることもあるけど、まったくあてにならないこともある。それに機械だって使っていれば狂う。正確に曲げたと思っていても、両端を溶接しようとするとずれていることがあるんですよ」

両端がずれていれば、出来上がった抜き型の上で抜いたものと下で抜いたもの形が完全に対象にはならず、誤差が出る。だから松平さんは、こんな注文が来ると曲げ作業の途中で何度も平板を凹型から外し、平台の上に一方を乗せて狂いがないかどうかを確かめる。少しでも狂いがあれば凹型や突起が狂いなく正しい位置に止まっているかどうかを調べるのである。

「ホンのちょっとの狂いならお客さんは何もいいませんが、なんか気分が悪くてね」

客ではなく、自分が納得できるものを作る。職人魂の宿るところだ。