糸を創る 泉織物の3

【染める】
繊維産地桐生は多品種少量生産を支える細かな分業制が特徴だ。その中で泉織物は一貫生産を指向する機屋であり続けた。できることは自分でやってコストを減らす、のではない。理想の和服を産み出すためには例え一部といえども人任せにできない、と考えるからだ。

(これも絞り染めの準備作業。一度染めた布地をロープに巻き、糸でとめる)

染色には2つのアプローチがある。糸の段階で染めるのを先染めという。布に織り上げた後で染めるのが後染めだ。泉織物はどちらも自家薬籠中のものにしてきた。先染めした糸で織り、織り上がった生地を今度は絞り染めする。糸や木などで染めたくないところを締め上げて染料が入らないようにして染める。これを何回か繰り返す。そのたびに柄は複雑になり、艶やかさを増す。父の代から、ほかにない着物を産み出そうと絞り染めに力を入れてきた。

泉さんが

「染色をもっと極めなければ」

と考えたのは、京都の問屋を見返せるほどの白生地が織れるようになってからだった。糸から創る泉さんの白生地はほかと比べて高価だったが、京都や沖縄で独特の和服を作り続ける作家と呼ばれる人たちの感性を虜にした。あまりの評判にほかの機屋も何とか同じ生地を織ろうとしたが、糸から手がける泉さんに追いすがる機屋は、今のところ現れていない。
そこまでは狙い通りなのだが、困ったことが持ち上がった。時折

「生地が悪いから染めがうまく行かない」

とクレームを付けてくる染め屋さんが現れたのだ。作家さんに頼まれて引き受けたがうまく染まらないという。
そんなはずはない。染め上がりも頭に入れて糸を創り、織り上げているのである。その生地がうまく染まらないわけはないのだ。
ところが、反論ができない。泉織物が代々受け継ぐ染色の手法は頭に入っているが、作家さんは独特の染め方をする。生地が原因ではないと説得するには、染色についての深い知識が要る。
加えて、泉さんはほかではできない絹織物を織るようになっていた。見た目を司る絹糸、着心地を司る絹糸、風合いを司る絹糸など数種類の糸を、使う目的によって最適になるよう組み合わせた生地には、それに適した、これまでにはなかった染め方があるはずだ。

泉織物の染めはすべて手染めである。染料にはそれぞれ発色温度があり、40℃、50℃、70℃などそれぞれ違う。だが、手を染料に突っ込めるのはせいぜい50℃が限度。70℃の染料を使う場合は感頼りにならざるを得ない。
こうして泉さんは、自分が創り出した糸、生地に合わせた染め方を1つずつ開発してきた。

糸を絞る素材も研究課題だ。それぞれの着物に合った最適な風合いが出せるものはないか?

「インターネットってありがたいですよ。検索するといろんな材料が見つかる。ロープも沢山ありますし、ビニール製、ゴム製のチューブもよりどりみどり。これ使えないかな、と思うと、誰も見たことがない染め上がりを頭の中で描きながらポッチンしちゃいます」

泉さんはまだまだ発展途上人である。

糸を創る 泉織物の2

【糸を組み合わせる】
話がここまで進むと、繊維産業についてまったく無知である筆者はトンチンカンな質問をしてしまった。

「じゃあ、蚕から飼っているのですか?」

そうではなかった。泉さんは市販されている絹糸を3種、4種と組み合わせるのである。数種類の糸を撚る。縄のように編む。1種の糸にほかの糸を巻き付ける。加工法は様々である。柔らかな肌触りの中にも、着崩れしない「硬さ」が欲しい。部分的に色の乗り方が違う糸で新しい質感を持つ生地を織り上げるにはどんな組み合わせがいいか。絹糸自体が持つ光沢が違う糸を数種類使えば新しい布が生み出せるはずだ……。

「生地に膨らみがあり、しわになりにくく、手触り、肌触りがよく、裾捌きが綺麗にまとまる。私が創る和服は礼装用ではなく普段着だと思っていますが、そんな着物を創るのが私の使命だと思ってやって来たことです。コストは上がりますが、1番いいものを創らなくてはつまらないと思いませんか?」

こうして泉さんが産み出した「絹糸」はすでに100種類を超えた。泉さんは世界中探しても泉織物にしかない絹糸で一品ものの着物、帯を作り続けているのだ。

【「俺んところに買いに来るようにしてやる!」】
泉さんの記憶によると、ちょうど世紀の変わり目のことだった。取引がある京都の問屋から

「絹の白生地を織って欲しい」

という注文があった。染める前の糸で生地を織る。利益率は低いが織機を遊ばせておくよりいいか。そんな気持ちで引き受けた。
白生地は西陣、浜松などに専業に近い機屋さんが数多い。だから、どうせ白生地を織るのならどこにも負けないものにしよう、というのは機屋根性とでもいうべきか。あれこれ工夫を凝らした自信作を織り上げ、問屋に持ち込んだ。

「こんなん、ほかの機屋やったらもっと安う持って来まっせ」

いい生地に仕上がったと自信があったから、価格もほかの問屋より少し高く付けた。それにしても、の反応である。

「こんなもんで商売になると思うてはんのでっか?」

糸を創る 泉織物の1

【機屋」
広辞苑第3版は、「機」を①織物をつくる手動の機械②機で織った布、と定義している。自動織機全盛のご時世に「手動」に限るとはやや時代遅れの感もあるが、いずれにしても機屋とは、織機を使って経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交差させて布に織り上げることを業とする個人・企業である。
織機には様々な分類法があるが、そのうちの1つが「広幅織機」と「小幅織機」という分け方である。文字通り、広幅織機は幅の広い布を織り、洋服生地などを織る。着物、帯を作っている泉織物は小幅織機を使う。伝統的に幅1尺(約38㎝)の布が着物に仕立てられてきたためである。

【「糸を創ってます」】
最高級の和服地である「お召し」を産み出したのは江戸時代の桐生である。普通より強い撚りをかけた絹糸を糊で固めて織り、後で糊を洗い流す。小さな凹凸(「しぼ」という)ができてコシがある。しっとりと肌に馴染む上に着崩れしにくく、裾捌きがよい。11代将軍徳川家斉が好んで「お召し」になったことから、この名がついたと伝わる。
泉織物は「お召し」の技法を今に伝え、質の高さで知られる機屋ある。だからだろう。数多くの繊維業界人が

「泉さんは取材すべきだ」

と筆者に勧めた。だが、正直気が進まなかった。経営者の泉太郎さんとは知らない仲ではなかったが、

「いまさらお召し?」

という思いが消せなかったからだ。
お召しの技法はすでに江戸時代に確立されている。だが、その後さらに工夫が加わり、より質の高い布地に育ってきたという話は聞かない。250年、300年間の技法がそのまま残るのは伝統工芸である。だが、技というものは職人たちの年々歳々の努力と工夫で磨き上げられ、洗練され続けることで未来を開く生き物だと筆者は考える。すでに冷凍保存の状態に入った技を紹介してどうする? そんな疑念が消えなかったのである。

だからだろう。久しぶりに顔を合わせた泉さんへの最初の質問は、いま考えれば大変失礼なものになった。

「いま、何をやってます?」

だが、泉さんは取り立てて構える風もなく、率直にに答えてくれた。

「はい、糸を創ってます」

ん? だってあなたは機屋さんでしょう。機屋とは買って来た糸を布に織るのが仕事ではないか。糸を作るのは製糸メーカーではないのか?

「そうなんですけど、市販の糸では私が創り出したい着物が織れないのです。だから、糸から作るしかないと思い定めました。ええ、変わり者といわれますけどね」

糸を創る。俄然、泉織物への興味と感心がムクムクと湧き上がった。

造色 小池染色の3

【気遣い】
小池染色には8台の染色機が設置されている。どれも日本製で、独自の改良を加えている。求める色が出せて精錬が終われば、染色機の出番だ。
染色機には2本から8本の噴射管が突き出している。多数のノズルが開いており、ここに綛になった糸をかける。下には染料を貯めておくプールがあり、蓋を閉めてスイッチを入れると加圧、加熱が始まり、やがてプールの染料が吸い上げられて噴射管の穴から噴き出し、糸を染めていく。か綛になった糸は自動的に回転してまんべんなく染まる。染める糸によって温度と圧力を変えるのはいうまでもない。かかる時間はおおむね30分から2時間。

この染色工程でかせ染めは二律背反に陥る。
かせ染めの泣き所である糸の傷みやすさを避けるには2つの方法がある。

①糸は噴射管の周りで回転して染めムラを避ける。この回転速度を落とす。

②ノズルから吹き出す染料の勢いを強めて染色時間を短くする。

しかし、①では回転を落としすぎると色むらが出てしまう。②だと緩く巻かれた糸が乱れ、乱れたかせが噴射管の周りを回転すると傷つきやすい。①と②を突き詰めて染色工程の時間を短くするのだが、短くしすぎると薄い色に染めるときは色の乱れが出やすい。

そして、気を遣わねばならないのは糸の傷みだけではない。色である。テスト段階では見本と同じ色に染まった。同じ配合の染料を使ってはいるのだが、ビーカーと染色機では条件が違う。同じ色に染め上がるかどうか。

「だから、10分に1回は機械を止めて染まり方を点検します。染色途中の色で染め上がりの色を見通して判断するんです。これも一種のノウハウなんでしょうねえ」

糸の種類、糸の太さ、色、その日の気温、湿度など様々な要因で変わる条件をギリギリまで突き詰め、究極の妥協点を探る。そして、点検を欠かさない。染色とは実に神経が疲れる仕事なのだ。

造色 小池染色の2

【色を産む】
思い起こしてみれば、

「このあたりでいんだろう」

と、どこかで妥協していたような気がする。色を造り出す染め屋としての厳しさが足りなかったのではないか?
それに、染料の色数はどんどん減っている。日本のメーカーが生産基地にした中国で環境問題が起き、閉鎖する工場が増えたためだ。だから出来合いの色は当てにできず、三原色である黄色、赤紫、青緑から必要な色を作る時代になった。あの機屋さんに納めた絹糸も自分で見本通りの色を作ったと思っていた。それが違うという。私の色感は充分育っていないのか。
色は染め屋の生命線である。それが不充分だということは……。

美術展に足繁く通い始めた。色感を鍛えるために、世界中の名をなした画家たちが命を削るようにして産み出した数多くの色をこの目に焼き付けようと考えた。名画を産み出した画家たちはどんな色をキャンバスに表現してきたのか。
子どもの頃から絵に関心を持ったことはない。美術全集なんて開いたこともなかった。だが、足繁く通ううちに少しずつ画家の人生がが自分の中に入ってくるような気がしてきた。

「フェルメールに特に惹かれました。ああ、ゴッホもいいですねえ」

色感を磨いただけでは仕事につながらない。求められる色を作り出すのが染め屋の仕事でなのだ。どんな割合で三原色を混合すると必要な色が出せるのか。前にも増して研究に熱を入れた。

「何しろ、染料はメーカーによって成分が微妙に違うようで、うちで使っている染料で見本で持ってこられた色と同じ色を出すのは容易じゃありません」