FREE RIDE ライダーは桐生を目指す その13 肌のぬくもり

いつもは自慢のHARLEYでやって来る高崎市の常連客が車で訪れた。20020年春のことである。聞くと、愛車はいまドレスアップに出してあるという。

「次はHARLEYで来ますよ!」

と言い残して去った彼は、1週間後、再び車で現れた。

「あれ、バイクで来るんじゃなかったっけ?」

と声をかけると、

「実は……」

仕上がったHARLEYを早速乗り回していたところ、事故を起こしてしまったのだ。愛車は再びドックに入院中とのこと。そこまで話すと、彼はおずおずと、ズタズタに破れたパンツを取り出した。

「これ、事故の時に履いていたヤツなんだけど、何とかなりますか?」

見れば、転倒して道路を滑っていったのか、あちこちがすりきれている。破れているところも沢山あった。

「なんか可愛くて。一緒に事故ったパンツでもあるし、捨てるに捨てられなくて……」

店に備えてあるミシンの前に座った二渡さんの作業は2時間もかかっただろうか。これなら何とか使えるだろう、というところまで修復ができた。
渡すと、

「うわー、よかった! ところでおいくらでしょう?」

ぼろきれに近かったパンツの修復を頼んだのである。当然、費用がかかると誰もが考える。ところが。

「何言ってんの。転んで痛い思いをしたのはお前さんだろうが。金なんか取れるかよ」

これ、店主と客の会話である。店主が客を「お前」と呼び、「取れるかよ」と締めくくる。ほとんど見かけない情景だ。

二渡さんが成功に思い上がっているのだ、と見る向きもあろう。だが、店の片隅で客との会話に耳を傾けていると、いつもこの調子なのだ。店主と客と言うより、友人同士の会話なのである。だから、客が年上なら自然な敬語が出る。同輩、あるいは年下なら、二渡さんの言葉は友人、先輩の言葉使いとなる。

FREE RIDE ライダーは桐生を目指す その14  Made in桐生

それにしても、である。桐生という町はなんと豊かなのだろう。
いまの桐生を知る方々からは

「それは皮肉か」

と罵声を浴びるかも知れないが、九州の炭鉱町で生まれ育った筆者にはそう思えて仕方がない。

炭鉱町は、たまたま土中に石炭があったから誕生した。世の中が膨大なエネルギーを必要とする時代になると、その担い手として繁栄した。しかし、石炭とは40数億年の地球の歴史が残してくれた遺産にすぎない。掘り続ければいつかは枯渇してしまう天然資源である。加えて、土中には石炭よりももっと使い勝手のいい石油が埋蔵されていた。石油の掘削技術が確立し、エネルギー資源の主力が石炭から石油に移ると産炭地は衰退した。時代に追い越されてしまったのである。石炭層の上にいて時代の寵児になり過ぎていたために、私のふるさとの衰退には歯止めがかからなかった。

桐生は織都と呼ばれる。白瀧姫の伝説によれば1300年にわたって織物の歴史を刻んできた。関ヶ原の戦いで、徳川家康率いる東軍にわずか1日で2410疋の籏絹を献上して絹織物産地としての名を高めて近世産業都市となり、類例をあまり見ないほどの繁栄を始めたときから数えても400年を超す。

そして、織物とは土中に埋まっているものではない。人が身体を使い、工夫を重ね、知恵を絞って生み出すものである。織都の繁栄は各地から様々な人たちを引きつけ、桐生は繊維関連技術が集積する町になった。人の労働と工夫と知恵が生み出す製品は、天然資源のように枯渇することはない。今でも桐生は

「繊維関連のあらゆる技術が集まった、世界でも類例を見ない都市」

と言われる。

二渡さんが生を受け、「FREE RIDE」というバイクライダーのメッカを産み出した桐生とは、そんな町である。

FREE RIDE ライダーは桐生を目指す その15  無理難題

二渡さんは桐生市内の十数の工場に仕事を出している。そのうちいくつかの工場に案内してもらった。

「いやあ、酷い人ですよ」

にこやかに出迎えながら、開口一番、そういったのは刺繍工場の職人さんである。

ここでは、二渡さんが起こしたロゴや図案を、まず高齢の職人さんが横振りミシンで縫う。最初からコンピューターでデザインすると、綺麗だが味も素っ気もないものになるというのが二渡さんのこだわりだ。

酷い人——それは恐らく、二渡さんの仕事への厳しさにある。手仕事でできた刺繍にOKが出るとコンピューターにプログラムして量産に移るのだが、ここでも二渡さんのダメ出しが続く。

まず冒頭の写真を見ていただこう。
私の目には、どちらも同じ刺繍でできたタグにしか見えない。最初の仕上がりは右のタグだった。だが、これではダメなのだ。

「文字に毛羽が目立つし、骨の質感も出てない。もう少し追い込んで」

何度もプログラムを調整する。

「これ、糸が詰まりすぎている。もう少しまばらにして」

「これじゃあまばらになりすぎ」

「ラインがシャープすぎる。いかにも機械生産、って感じじゃ困る。もう少し、自然な乱れが入るように」

そのたびにプログラムを調整する。何度も続いたダメ出しの結果できたのが左の完成品だ。

 

この髑髏の刺繍も上の2つを含む複数の過程を辿って写真下の完成品にたどり着いた。
確かに、こうして並べてみれば骨と頭蓋骨の質感は完成品の方が上だと、私のような素人の目にも分かる。しかし、上の二つでも十分商品になるのではないか? そこまで目が利く客はほとんどいないと思うが……。

「お客様を馬鹿にしてはいけません。他では手に入らない最高のものを求めて桐生まで来ていただけるのです。その思いに全力でお答えするのが私の仕事なんです」

二渡さんの辞書には「妥協」という言葉は掲載されていないらしい。

FREE RIDE ライダーは桐生を目指す その16  手間3倍

その足で桐生市内のプリント工場に回った。

新しいデザインのプリントを発注すると二渡さんは必ず工場に足を運び、チェック、というより工場の一員になってプリントを産み出す。
例えばTシャツへのプリント。

「出来上がりは同じように見えるかも知れませんが、白地に黒のプリントと黒地に白のプリントは、同じプリントといいながら実は違うんですよ」

白地に黒インクを乗せるのなら1回のプリントで済むことが多い。しかし、黒地に白でプリントしても

「白地に黒と同じ質感にしなければならない」

と考えるのが二渡流である。
1度のプリントでは白が生地の黒に負ける。だから2度、3度とプリントを重ねる。だが、重ねても狙った白が出ないと

「インクを変えてみようよ」

といいだす。他のインクでも狙い通りにならないと、インクの調合が始まる。

「この白に少し黄色を混ぜてみたらどうだろう?」

満足できる「黒地に白」のプリントができるまで試行錯誤が続く。熱意と根気の要る仕事だ。しかも、同じTシャツでも素材が変われば、ピッタリするプリント法もインクも変わってしまう。そのたびに、ゼロに戻って同じ試行錯誤の繰り返しである。

FREE RIDE ライダーは桐生を目指す その17  桐生を使おうよ!

ジャケットの縫製を頼んでいるのは、最初に「RIDERS N-3B」を一緒に作った縫製工場である。あれ以来、付き合いがずっと続いている。
工場の中に入ると、販売店の店頭では1着15万円、20万円の値札がつく高級ジャケット、ジャンパーが所狭しとぶら下がっている。全国の高級衣料専門のメーカがこぞって門を叩く縫製工場なのである。

ここでも二渡さんは職人さん泣かせである。

前に書いたが、「RIDERS N-3B」の袖の内部には、リブ織りのインナーとムートンが縫い付けてある。ジャケットの袖もリブ織りのインナーも、どちらも筒型である。筒型の袖の内側に、筒になったインナーをミシンで縫い付ける。筒に筒をミシンで縫い付ける。

「手縫いならできるだろう。でも、いったいどうやってミシンの針の下をくぐらせるのだろう?」

その作業は著者の想像力をはるかに超える。
それだけではない。ムートンは羊の毛皮である。毛の部分を同じ長さに切りそろえ、狙った色に染め上がったムートンのシートがこの工場に届くと、リボン状に切り離して袖口に縫い付ける作業が始まる。
そもそも毛皮は分厚いから針が折れやすく、ミシン泣かせである。それを筒状の袖の内側に縫い付ける……。頼まれた社長でなくても

「こんなパターンじゃ縫えねえよ!」

と泣き言の一つもいいたくなるはずだ。

「それにね、ジャケットにはどうしても部分的に力がかかるところがあって、その部分の縫い目が裂けやすいんです。うちのものは『一生もの』ですからその部分は何度も糸を通して強化してありますが、これも面倒な作業らしいんですよ」