街の灯 「PLUS+ アンカー」の話  その11 石巻のおいしいイタリアンの会

雅子さんは自発的プランナーではない。自分で企画を立てて実行することはあまりない。だが、誰かが企画の種を持っていると、それに様々な枝葉をつけ、化粧を施して見栄えのする催しに仕上げるのは得意である。いわば、「受け身のプランナー」といえる。

「こんなことをしたいんですが」

と相談を受けると、やおら様々な知恵が湧く。だったらこうした方がいい、こんなことも加えてみれば、というアイデアが溢れてくる。

被災地から来た2人が

「私たちは多くの人に石巻に来て欲しいと思ってレストランを開きます。いや、可哀想な町としての石巻に来てほしいのではありません。綺麗な海と美味しいものがある町としての石巻に来て欲しいんです。いま開店準備をしながら、それを多くの人に伝えたいと思っています」

と話したとき、「受け身のプランナー」が起動した。突然、アイデアが浮かんだ。

「ね、だったらここでレストランを開いてみたら? 自分たちの店を開くまえにここでレストランをやってみるの。パーティ形式で人を呼んで、あなたたちの作る美味しいものを食べていただく。そうしたら、あなたたちの思いがたくさんの人に伝わるでしょ? やってみましょうよ、手伝うから!」

思ってもみなかった提案に、2人は当初戸惑っているようだった。だが

「店を開く前の練習にもなるでしょ?」

とダメを押されて2人の気持ちは固まった。

「わかりました。やらせてください」

2015年2月の2日間、「石巻のおいしいイタリアンの会」が開かれた。壁には女川出身の写真家が取った被災地の生々しい写真を展示した。これも雅子さんが付け加えた「枝葉」である。少しでも現地の姿を知って欲しかった。そして、食材はすべて石巻から運んだ。

街の灯 「PLUS+ アンカー」の話  その12 飛躍

被災地との交流が深まる一方で、「PLUS アンカー」が変わり始めた。「カフェ」から「街の灯」への変化である。客から

「こんなことを考えているんですが、使わせてもらえませんか?」

という問い合わせが出てきたのだ。多くは石巻レストランの客になった人たちである。石巻の食材でできた美味しい料理を楽しみ、初めて知る被災地の生々しい現状に涙ぐみながら、「PLUS アンカー」は単なる「カフェ」ではなく、自分の暮らし、桐生の町を表現する舞台に使えると感じ取った人たちだった。
これまで雅子さんが取り仕切ってきた「PLUS アンカー」が、雅子さんの掌を飛び出しかかっていた。町の人たちが、何かをする場所、何かに参加する場所という新しい顔を持ち始めたのである。

雅子さんの記憶では、第1号は桐生市職員の早朝勉強会だった。登庁する前の午前7時に始める勉強会がしたい。市役所という閉じられた世界で仕事をしていると視野が限られてしまう。民間で活躍している人たちの話を若手の職員が聞いて学び、行政に活かしたい。民間の活力と行政を繋ぐ市職員に育ちたい。

役所内の会議室で開く選択肢もあったろう。だが、それでは講師にお願いしたいと思っている民間の人たちを役所に呼びつける形になってしまう。他の場所を使おうにも、そんなに早い時間に開いている貸しホールなどない。困っているとき「PLUS アンカー」を知った。ここなら受け入れてくれるかも知れない。

「分かった。うちでやってよ。そんな朝早くなら朝ご飯を食べる暇もないでしょう。うちで簡単な朝食を用意してあげる」

若手の職員である。「民間の識者」に話してもらうといっても伝手があるわけではない。講師選びから講演の依頼まで、雅子さんと夫の貴志さんが手伝った「「受け身のプランナー」ならではのことである。

「Kiryu Asa Café plus+」はこうして2015年3月11日に始まった。初回の講師は、不動産業、不動産コンサルティングの仕事を通じて桐生のまちおこしに取り組んでいる貴志さんが引き受けた。

街の灯 「PLUS+ アンカー」の話  その13 チベット

不動産会社「アンカー」の社長である川口貴志さんは旅行が好きだ。仕事の疲れがたまるとフラリとひとり旅に出る。2019年8月は北海道に出かけた。日本の北の果て・稚内を拠点にしてレンタカーで移動した。

「誰も人がいないところに行きたくて」

高レベル放射性廃棄物の中間処分場にしたらどうかという話が一時出た日本海に面した町・幌延町にも足を伸ばした。

「1,2時間、車を降りてボーッとしていましたが、本当に人っ子ひとりいないんですよね」

仕事の疲れをとるための旅である。日常の仕事はできるだけ頭から追い出す。自分をまっさらな状態に戻すのが旅の目的だ。
だが、どこに行っても必ず足を伸ばす場所がある。町を一望できる小高い丘の上である。登って町を見渡す。

「町を見ながら頭の中に絵を描くんです。自分ならこの町からどんな可能性を導き出せるかって考えながら、です」

徳川家康を尊敬する。

「だって、彼は日本史上最高のデベロッパーですよ。ほとんど何もなくて野っ原だった関東平野を舞台にまちづくりの絵を描き、後に世界最大となる都市・江戸を創り出したんですから。それに、ふるさとの桐生は家康とのつながりで発展した町でしょ。それもあって、同じ業界の大先輩として敬愛しているんです」

家康と同じ目線で町を眺める。どこにどう手を入れれば町の活力を導き出し、人々の暮らしを豊かにできるかを考える。リフレッシュするための旅とはいえ、これだけは欠かせない。まちに生涯をかけた男の性ともいえる。

街の灯 「PLUS+ アンカー」の話  その14 殿様気質

地方都市の不動産屋さんは土地・住宅の売買、賃貸の仲介を主な仕事にするところが多い。だから管理物件をたくさん持つ不動産屋さんが繁栄することになる。自力だけでは業績を思うように伸ばせないと思った不動産屋さんは全国チェーンに加盟して、どんな地方都市でも目につく看板を掲げる。

だが、桐生は独自の道を歩まざるを得ない町である。不動産業の経営も他と同じではダメなのだ。どこにも前例がない自分流の経営手法を生み出さねばならない。

大学を出てすぐ、大手コンビニエンスストアに勤めた経験がある。新規出店を担当する部署だった。たくさんの町に出向き、商店街を歩いて商店主と話した。その中で身につけたことがあった。「自店競合は避ける」ということである。既存の店のすぐそばには新しい店は出さない。同じチェーン店同士でお客様を取り合う愚を避けるのは経営の常識である。

しかし、これまで不動産業は平気で「自店競合」を繰り返してこなかったか? 同じ市内に複数のアパートを持つと、多くの場合同じプレハブメーカーに頼むから、ほぼ同じ外観、内装のアパートが建ち並ぶことになる。場所は違えど同じ玄関、同じ間取り。これで入居する人たちは満足するのか?

「デザイン賃貸住宅」を始めた。新しく賃貸用の住宅やアパートを建てる時には、その土地の特徴を最大限に取り入れる。外観は決して奇をてらわず既存の町の雰囲気に溶け込むデザインにする。北に美しい山並みがある場所なら、北向きに大きな窓を開けた。東南の角部屋が最高とされるアパートだが、全体の形状を変えることですべての部屋が角部屋になって日が差す工夫をした。1棟1棟が違った建物になるから手間はかかるが、住む人の満足度は上がるはずだ。

街の灯 「PLUS+ アンカー」の話  その15 潜在ニーズ

貴志さんは多趣味の人ではない。あえていえば、仕事が趣味、と言ったらよかろうか。趣味の旅行に出たときも、頭の中にはいつも不動産の仕事を通じた「まちづくり」が陣取っている。だからだろうか。「PLUS アンカー」がその姿を現したとき、最初の反応は不動産業の経営者そのものだった。

「これ、新しい不動産営業の取り組みに使える!」

である。どういうことか。

あなたはどんな時に不動産会社を訪ねるだろうか? 引っ越し先で家を探す。事務所、店舗、工場を探す。相続した土地を処分する。家を建てたいので土地を探す。不動産投資を始める……。そのほかにも訪ねる目的は多様だろう。多様ではあるが、一つだけ共通したことがある。不動産会社を訪ねることが必要になった、ということである。ニーズが顕在化したのだ。
だから不動産会社を訪ねる人には、はっきりとした目的がある。

「近くまで来たからついでに寄ってみた」

などという人はほとんどいない。それが貴志さんには物足りなかった。不動産とは暮らしの3要素である衣・食・住の「住」にあたる。すべての人の営みに深く関係があるのに、多くの人はよほど必要に迫られない限り、不動産にはそっぽを向いて暮らしている。家や土地を何とかしなければ、という案件が持ち上がっても、

「面倒くさい。そのうち何とかしよう」

というのが普通の人の不動産対処法だ。不動産会社に足を運ぶのは切羽詰まってからである。

いや、普通の不動産業者なら、それでもいいのだろう。顕在化されたニーズだけでも商売はそれなりに成り立っているからだ。
しかし、貴志さんは人と同じことをしたくない。だから独自の不動産経営を目指す人でもある。