カフェラルゴ 第4回 ゼロからのスタート

「ところで」

と私は話を切り出した。

「2人で起業を決めたとき、開業資金はいくらぐらい貯めてあったの?」

渉さんは妙にきっぱり言った。

「ゼロ、です。全くありませんでした」

えっ、これから起業しようというのに、全く資金を準備していない!? それって、無謀というか、世間知らずというか、サンチョ・パンサを連れて世の不正をただす旅に出たドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャというか……。とにかく、ちょっと無茶すぎるんじゃないか?

「鉄工所に10年勤めていましたので、計算したら50万円ぐらいの退職金が出るはずで、それをあてにしました。いえ、それしかあてはありませんでした。実験店舗だった新桐生駅近くの店なら、それぐらいで看板をつくり、内装を少しいじって足りない食器類なんかを買えば開業できると踏んでいたんです」

しかし、いまの店は全く違うところ。50万円で開業できたはずがない。

「はい、起業を決めてすぐでした。実験店舗の大家さんから、都合ができたので店を返してくれといわれまして。いやあ、退職届は出しちゃったし、あの時は本当に途方に暮れました」

実験店舗が使えないとすると、50万円ぽっちでカフェを開けるはずがない。2人は

「銀行から借りよう」

と、地元の銀行や信用金庫に融資を申し込んだ。そのための事業計画書は渉さんが必死になって書き上げた。

しかし、2人にはカフェを経営した経験も、担保に差し出せる資産もない。金融機関の敷居は、当然ながら高かった。預金者のお金を運用する金融機関は、貸した金を回収できる見込みがないところにはお金は貸さないものである。

あるところでは、

「これ、甘い事業計画ですねえ。いいですか、事業を興すというのは……」

と説教された。

「あなたの事業計画、夢物語ですよ。地に足が着いていない。私たちは夢物語にはお付き合い出ません」

と門前払いに近い扱いも受けた。

2人は行き詰まった。他にお金のあてはない。どうしよう……。

カフェラルゴ 第5回 開店

2人は根っからの楽観主義者である。どうなるか分からない先のことでくよくよ考えたりしない。願えば必ず実現すると信じるたちである。もっとも、口の悪い人なら、無計画な世間知らず、と切って捨てるかも知れないが。

銀行に断わられ、開業の資金計画にめどが立っていなかった4月、2人はいまの住居に引っ越したのである。3階建てのビルで、住居部分の2、3階を借りた。国の審査に通れば1階の店舗部分も借り増して改装する。

「ここでカフェを開く」

と決めたのだ。
紹介してくれたのは、桐生市の不動産会社「アンカー」の川口貴志社長である。そう、このホームページを運営している会社の経営者だ。
ある会合で知り合った。カフェが出来る住居軒店舗を探していると相談すると、1ヶ月半ほどして連絡が来た。

「適当な物件が出ました。家賃も安いし最適だと思います」

2人は一目で気に入り、すぐに引っ越したのだ。

「何とかなる。きっと何とかなる」

引っ越したのは、国に補助金の申請書を出した直後だった。「何とかなる」は、きっと国の補助金が下りるという、願いにも似た気持ちだった。

半月たった。だが、国からは何の反応もない。問い合わせすらない。1ヶ月が過ぎた。まだ何も言ってこない。

「どうなんだろう。やっぱりダメなのかな……」

5月に入り、毎日のように晴天が続いた。最高気温が30度を超える日はほとんどなく、1年中で一番気持ちのいい季節かも知れない。だが、決定の知らせをジリジリする思いで待ち続ける2人の心は晴れなかった。カフェを、本当に開けるのか?

一日千秋の思いで待っていた封書を郵便受けに見つけたのは5月21日。渉さんは恐る恐る開封した。

採択通知書

「やった! 綾子、補助金が出るぞ! カフェが開ける!!」

玄関から飛び込んだ渉さんは、綾子さんと抱き合って喜びの雄叫びを上げた。

開店準備が始まった。といっても、国の制度は複雑である。採択通知書が届いてもすぐに工事にかかってはならない。補助金の「交付決定通知書」が届いて初めて改装工事に取りかかれるのだ。それまでに工事にかかれば、補助金が出なくなる。

ジリジリしながら待った。その間、須田さんのアドバイスに従い、「採択通知書」を持って銀行の門をくぐった。開店資金として200万円では足りないし、実際にお金が出るのはずっと先だ。当面の資金は融資を受けるしかない。採択通知書を示すと、今度は300万円の融資がすんなり決まった。国の補助金の「採択通知書」は水戸黄門の印籠に似たものらしい。国の補助金が下りたら200万円を返済する。残りは自力で返す。

やっと1階部分を借り増し、内装工事を依頼する工務店と綿密な打ち合わせを始めた。1階は食品の販売店舗に使われていたから、土間だったところを板張りの床にし、一番奥に厨房をつくる。床は子どもが転んでも怪我をしないようにクッションフロアにする。授乳とおしめを替えるスペースをつくるため、新たに壁を設ける。綾子さんがピアノ教室を開くためのスペースも必要だから、そこにも壁をつくって、壁にはカウンターを設けよう……。

カフェラルゴ 第6回 ネガ

2018年夏のある日、午後1時半過ぎのカフェラルゴに行ってみた。4つの座卓はこの日もすべて埋まっていた。乳飲み子から幼児まで10人ほどの子供たちと、そのお母さんたちである。

フラリと入ってきた私をみて、怖そうな顔をする子がいる。無視して遊び続ける子がいる。何故か寄ってくる子がいる。お母さんたちは昼食に注文した食べ物を間に雑談に余念がない。

高久保夫妻の狙い通りのカフェ風景である。だが、客が店主の狙い通りに動くことはないはずだ。このお母さんたちは、車のチャイルドシートに子どもを乗せて運転し、お金を払って、自主的にこの店に来る。何故なのだろう?

私は、座布団に寝かされていた男の子を抱き上げた。可愛かったからだ。男の子は嫌がりもせず、私の顔を見つめてくる。膝を立ててその上に座らせると、ニコニコ笑い出した。子供をあやしながら、周りにいたお母さんたちに話を聞いた。

——どうしてここに来るんですか?

「話し相手を求めて、ですかね」

——話し相手? だって、ご主人がいるじゃないですか。

「主人? ダメよ。主人じゃ話し相手にならない」

——だって、一緒に子供を育てているわけでしょ?

「ダメダメ。主人には仕事があって、どうしても子育ては二の次になるようで、何を話しても『適当にやっておけばいいんじゃない』って感じなんですよ。こっちがいろいろ迷ったり悩んだりしているのに、向こうは軽く受け流すというか……」

いわれてみれば、休みの日は子供を可愛がったつもりの私も、日常的に子育てに関心を持った記憶はない。放っておいても子供は育つ、とまではいわないが、専業主婦である妻に任せておけば間違うはずがないと思い決め、時間の大半は仕事に注ぎ込んで家庭、子供を顧みることはほとんどなかった。

でも、子育てって、そんなに迷いや不安が伴うのか?

そう思いながら聞いた数人のお母さんたちの話は切実だった。

初めての子育ては、初めての連続である。もちろん、本を読んだり、ネットで検索したりして知識を得る努力はする。だが、そんなメディアから得た知識だけですべてが解決できるほど、子育ては生やさしくはない。

・母乳は飲むのに、ほ乳瓶でミルクを飲ませようとすると乳首を吐き出してしまう。

・離乳食をなかなか食べてくれない。私の作り方が悪いのか、食べさせ方が悪いのか、熱すぎるのか、冷たすぎるのか。それとも身体の具合がどこか悪いのか。もともと食の細い子なのか。

・子供が宵っ張りでなかなか寝てくれない。寝る子は育つというのに、こんなに寝ないでちゃんと育つのだろうか? どうしたらたくさん寝てくれるようになるのだろう?

・今日はうんちの色がいつもと違う。変わった食べ物を与えた記憶はない。これ、病気?

・母乳を与えているが、胸の張り方が昨日と何か違う。どうしたんだろう?

・0歳、1歳、2歳の3人を私ひとりで入浴させなくてはならない。どうやったらいい?

・何か、やることなすこと失敗ばかりしている気がする。私には子供を育てる能力がないのかな?

カフェラルゴ 第7回 広くしたい!

2018年12月現在で、カフェラルゴは誕生から3年半近くになった。定休日は木曜と第2日曜日だけ。そのほかの日は貴弦くんと2016年9月に生まれた乃悠(のはる)くんを保育所に預け、2人で必死に働いた結果だろう。

「必ず何とかなるさ」

という究極の楽天家である渉さんと綾子さん2人の確信を、2人が力を合わせて実現してきた。

だが、3年も過ぎると課題も見えてきた。

「狭いんですよね」

いま、客用のスペースは30㎡足らずしかない。厨房を切り詰め、ピアノ教室用のスペースも最低限にしたが、それでもこれだけしか確保できなかった。
これでは子ども連れのママさんが10組も入れば満席だ。営業日のほぼ6割が満席になるから、せっかく来てもらった客を

「申し訳ありません。満席ですので……」

と断らなければならないことがしょっちゅうある。

もともと客の回転率を全く考えない店である。ママたちは昼食の店として使うことがほとんどで、お昼前にやってきて午後2時、3時までいる。それは狙い通りなのだが、売り上げはその分だけとなり、利益は雀の涙ほどしか残らない。

それに、これだけのスペースに10人内外のママたちと10数人の子どもが入れば、子どもが伸び伸びと遊び回る場所がない。乳幼児なら寝かせておいたりだっこしていたりすればいいが、走り回ることが大好きな子供たちだってやってくる。一人が走り始めれば、つられて走る子供が増える。ママたちはついつい、

「危ないでしょ! 走るの止めなさい」

と小言をいってしまう。

「子どもにとって、友だちと遊べるのはいいのですが、狭いから自宅で遊ぶのと一緒になってしまいますよね」

だから、広い店が欲しい。いつでも入れるカフェ、子供たちが思い切り遊べるカフェにしたい。

「いまの3倍というと欲張りすぎかも知れませんが、せめて2倍ぐらいの広さに出来たらお客様をお断りすることもなくなるでしょうし、子どもの声がするから、と立ち寄って下さる普通のお客様だって期待できると思うんですよ」

小黒金物店 第1回 手

小黒定一さんはこんな手をしている。鉄を鍛え続けて、もう70年を越えた。

たったいま洗ったばかりだ。それでも爪の間には鉄の粉や砥石の粉、なにやら分からない粉が残って黒い。粉は手のしわにも入り込み、居座っている。

1日の仕事を終えると、まずガソリンで汚れを落とす。次に石けんでガソリンを洗い流す。そして入浴。夏場ならそれで綺麗になる。だが、冬場はいけない。脂っ気がなくなって乾燥した肌にこびりついた汚れは、歯ブラシに石けんをつけてこすらないといなくなってはくれない。

左手はペンチのお化けのような「つかみ」という道具をあやつる。「つかみ」で灼熱した鉄を挟んで金敷に置き、右手に持つ槌で叩く。

振り下ろす槌は、遠心力で手から飛び出そうとする。止めようと指に力が入る。左手は、叩かれてはねる鉄を押さえつける。

「つかみ」も槌も、軽く握るのがこつだ。指先にはそれほど力を入れない。だが、同じ作業を続けたためだろう、右手の小指は曲がったままで自力では伸びない。伸ばすには左手で引っ張ってやらねばならない。両手の人差し指から小指までは、第1関節から先が親指の方に曲がっている。どうやら、「つかみ」も槌も、このあたりに引っかかって手の中に収まっているらしい。

そして、節がひときわ太くなった指。

「若けえころから、俺の指は太くて形が悪かったからね。それでだんべ」

だが、そこに鍛冶屋の年輪が加わっていることは疑いようがない。

1000℃近くまで熱されてミカン色に灼熱した鉄を叩けば火の粉が飛ぶ。火の粉は遠慮なく肌に落ちて焼く。手から腕にかけて火傷の跡は数え切れない。

「でも、慣れちゃうんだね。若い頃は火ぶくれもできていたが、いまじゃ風呂に入ってガサガサって洗うと、少しはピリピリするけど、翌日は何ともないんんだ」