小黒金物店 第7回 一人だけの弟子

 福島からバイクで乗り付けた高校生がいた。

 「俺、鍛冶屋になりたいんです。伝統工芸士を目指してます。弟子にしてもらえませんか?」

 ほう、福島からわざわざ、ね。しかも、まだ高校生で。どこで私を知ったのか?
悪い気はしなかった。だが、小黒さんは丁寧に断った。

 「うちじゃ修行にならないよ。いろんなものを作るからね。修行するんなら専門の鍛冶屋さんでみっちり基礎を勉強した方がいい」

 鍛冶の仕事を覚えるには、同じものをいくつも作ってコツを飲み込むしかない。鎌を作り続けて仕事を覚えた小黒さんはそう思う。いまの小黒さんのような多品種少量生産では毎日作るものが変わる。だからコツをつかむのに時間がかかってしまう。それは気の毒だ。
どう頼まれても、だから弟子は取らない。

 「その修行が終わったらおいで。いくらでもアドバイスはしてあげるから」

 そんな小黒さんだが、実は1人だけ弟子がいた。一人息子の充さんである。別に強制も説得もしなかったのに、桐生工業高校に通っている間から、店が忙しい時は黙って仕事を手伝った。卒業してもそのまま鍛冶場に残った。

 高校の先生は、

 「充君は成績がいい。是非大学に行かせてほしい」

 と言ってこられたが、断った。家計にゆとりがなかった。
充さんは不満を口にするわけでもなく、大学の「だ」の字も口にせずに黙々と鍛冶仕事に取り組んだ。

 「やっと仕事の相棒ができたみたいで、嬉しかったなあ」

 仕込んだ。毎日朝8時から夕方6時まで一緒に鍛冶場に立ち、火の管理、鍛接、火造り、研ぎ、焼き入れ……。

 「やっぱり、学校ってすごいもんだね。私は長年の勘で仕事をするんだが、工業高校を出た充は理屈を知っていた。私の方が教えられたこともいっぱいあったよ」

 覚えが早かった。失敗は繰り返さない。加えて、なにやら自分で工夫も加えているようだ。

 「こいつ、俺より腕のいい鍛冶職人になるんじゃないか?」

 期待が膨らんだのは、親の欲目だけではなかったと思う。
客に受けた注文を

 「お前が打ってみろ」

 と充さんに回したのは、わずか半年か1年後だ。客は

 「いつもいい物を打ってもらって。小黒さん、いい跡継ぎができたね」

 と喜んでくれた。

小黒金物店 第8回 押しかけ弟子

何度か来たことがある若者だった。刀の鞘を作るナイフと特殊な鑿を作ってくれという。引き受けて鍛冶場に入ると、そのままついてきて横に立ち、小黒さんの仕事をじっと見ている。
よほど刃物が好きなのだろう。時々こんな客がいる。だから、ふと口にでた。

「学生さん、あんたもやってみませんか? なーに、そんなに難しくはないから。うん、悪戯してみなよ」

2015年春のことだった。

若者は斉藤悠さんという。群馬大学医学部の学生である。当時4年生。
古武道の剣術をやる。持っている5振りの日本刀を、ネットで知った桐生の研ぎ師に研いでもらうようになり、その研ぎ師が鞘も作ることを知って鞘も頼んだ。見ているうちに自分でも鞘が作りたくなった。研ぎ師の刃物を借りて作り始めたが、これまで使ったどんな刃物とも切れ味が違う。

「すぐ近くにいる小黒さんの打ったやつだ」

とい聞いて、小黒さんにナイフと鑿(のみ)を注文しに来た。ついでに、小黒さんの仕事の見学を決め込んだのだった。

出来上がった鑿とナイフを使ってみた。切れる。日本刀の切れ味を知る斉藤さんの目には、小黒さんが打った刃物は国宝級の刀鍛冶が打った刀と並べてもおかしくない。刃を当てるとすっと木の中に切れ込み、あまり力を加えなくても正確に、思い通りに木をそぎ取る。
魅せられた。

小黒さんは弟子を取らない。昔から守ってきた原則である。いや、息子の充さんは弟子だったかもしれないが、あれが最初で最後だ。あれからは、鍛冶場で一緒に槌を振りたくなった相手はいない。
これまでも、熱心に仕事を見ている人を誘ったことはあった。だが、ほとんどは尻込みした。来るようになっても、数回で姿を見せなくなった。

小黒さんは軽い気持ちで斉藤さんに声をかけた。いつもの癖、ともいえる。そして、斉藤さんも刃物を打つ真似をすれば満足するだろう、としか思っていなかった。
斉藤さんは違った。原則毎週土曜日、授業が混んでいない時期はほぼ毎日、前橋市の下宿から小黒さんの店に車でやってきて鍛冶仕事に励みだした。いつまでたっても途切れない。

「この若者、熱心だな」

小黒さんはいつしか、

ちょっとばかりのアドバイス

をするようになった。

「槌はもっと軽く握らなきゃ」

「ほら、火床から出すのはいまだよ」

小黒金物店 第9回 私と小黒さん

私に小黒さんの存在を教えてくれたのは斉藤さんだった。別件の取材で前橋市の群馬大学医学部を訪れたときだ。見知らぬ学生が寄ってきて、突然

「記者さんですか?」

と聞いてきた。恐らく、一眼レフのカメラをぶら下げていたからだろう。
そうだ、と答えると、小黒さんを取材して記事にしてほしいという。あれこれ話を聞いていて、そういえば見たこともないほど鋭い刃を持つ鍬を何本も店頭に並べた店が桐生にあったことを思い出した。隣の動物病院に愛犬を連れて行った時の記憶である。どうやらそれが小黒金物店らしい。

しかし、記事にしろと言われても安請け合いはできない。考えてみるとだけ答えて大学を出た。

数日考えた。目新しいことはないからニュースではない。だが、弟子を取らない師匠に押しかけ弟子ができたという街の話題としては取り上げることができる。すぐに取材し、記事にした。小黒さんとはそれ以来のお付き合いである。

鍛冶場に入って小黒さんの仕事を見る。お茶をいただきながら話を伺う。そのうち、小黒さんが鍛えた刃物がほしくなった。
が、私は料理人ではない。農作業もしない。庭仕事も苦手だ。どうも、刃物とは余り縁のない暮らしである。では、何が良かろう? と考えてナイフを思いついた。

まずショーウインドウを覗いた。
10本ほど飾ってあった。

「この程度の大きさがいい」

と思った切り出しナイフには鞘がない。始末の悪い私は、鞘なしのナイフは道具箱に放り込んで刃こぼれさせそうである。だから何としても鞘つきがほしい。だが、置いてある鞘つきナイフは大きすぎて取り扱いに困る。

「うーん」

と考え込んでいると、小黒さんが

「じゃあ、新しくつくるわ」

といってくれた。ありがたく申し出を受け、サイズを告げた。

「出来たら連絡するからさ」

そんな声を背に小黒さんの店を出た。小黒さんが鍛えたナイフが私のもになる。なんだかワクワクした。

小黒金物店 第10回 いろいろな客

2017年夏の、ある夕暮れのことだった。そろそろ夕食という頃、桐生市役所から電話が来た。

「小黒さんの店に行きたいといって、神奈川県から女性が見えています。ちょっと遅いけど、お店に案内していいですか?」

すでに店のシャッターは閉じていた。しかし、神奈川県からわざわざここまで。

「はい、いいですよ。シャッターは開けておきますから、どうぞ」

待つうちに、30歳前後と見える女性が店に入ってきた。調理の修行中なのだという。腕を上げるにはいい包丁がいる。そう思い立ち、いい包丁を探して名高い堺まで足を伸ばしたが、気に入ったものに出会えなかった。
そんな頃、知人が

「桐生に小黒さんという鍛冶屋さんがいる。小黒さんの手打ちの包丁は切れ味が良く、長切れする」

と教えてくれた。今日は仕事が休み。遅い時間になって申し訳ないと思ったが、1日も早くいい包丁が欲しいという気持ちに負けて来てしまった。

「そうでしたか。うちの包丁はね……」

話しながら、作り置きの包丁を出して見せると、女性の目が光った。まるでなめるように包丁を見、刃に指を当て

「これ、いただいていきます」

気に入ったのだろう。代金を払うと、自分で選んだ包丁を抱きかかえるようにして帰って行った。

「あの人、あの包丁で修行してるんだよねえ」

小黒さんは嬉しそうに思い出話をした。

彼女のような客が関東一円からやってくる。彼女のように、その場で買う客がいる。こんな包丁を打ってくれ、と頼んで戻っていく客もいる。一度では決心がつかないのか、3度、5度とやってきて、やっと自分の一丁を決める人もいる。

朝倉染布第1回 魔法の布

朝倉染布の大ヒット商品、超撥水風呂敷「ながれ」は魔法の布だ。

布なのに、濡れない。水をはじく。平らに置いて水をかけると、布に残った水は玉になって布の上をコロコロと転がる。まるで蓮の葉の上で踊る朝露だ。初夏、蓮の葉の朝露を集めて墨をすり、笹に下げる短冊に願いを書いた幼き日を思い出す。

だから、「ながれ」があれば雨も恐くない。降り出したら頭からかぶればいい。少しの雨ならこれでやり過ごせる。

濡らしたくないものがあれば、もう1枚の「ながれ」を取り出してくるむ。友人のカメラマンはいつもバッグに「ながれ」を潜ませている。

「いつ何時、雨にたたられるか分かりませんからね。『ながれ』さえあれば、撮影地で突然の雨に襲われて雨中でシャッターを押す羽目に陥っても、大事な商売道具のカメラは救えますから」

水が運べる。「ながれ」で袋をつくり、中に水を入れれば漏れ出すことはない。緊急時のバケツ代わりとして立派に役割を果たす。

それなのに。

「ながれ」は水を通す。「ながれ」で水を包み込んだだけではバケツになるのに、少し力を入れてギュッと絞ってやれば、縫い目からシャワーのように水がほとばしる。設備がないキャンプ地でも、水さえあればシャワーの心地よさが堪能できる。

水を通すほどだから、もちろん空気の出入りは自由だ。こいつを身にまとえば、雨ははじく。でも肌が発散する水分は閉じ込められることなく発散し、中は蒸れない。理想的なレインコートの生地である。